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《お茶の講習会用:お茶の歴史》

その昔、中津のカンテに新人が入って来ると、しばらくして「お茶の講習会」というのをやりました。厨房でお茶をいれるコツを教えるというのもありますが、僕が作ったお茶を飲んでもらいながら、お茶やカンテや個人的なことについての話を1時間から1時間半するのです。まあ、コミュニケーションを計るためのお茶会みたいなもんですね。

その時々によって全く違う話をするんですが、今回はその中から「お茶の歴史」の話をここでご紹介します。

僕自身、お茶の歴史が頭の中にきっちりと入っているわけではないので、こういった講習会の前にざっと予習をしておいてしゃべる、と自分の勉強にもなるという一石二鳥を狙ったものです。

今回参考にしたのは「中国茶の事典」(成美堂出版)の「中国茶の歴史」のコーナーです。


中国には樹齢2600年という茶樹があるとききます。つまり、紀元前からお茶は飲食に使われていたということです。それが数百年という単位で少しずつ生活とともに変化して、今日の僕たちの飲むお茶になっている。そのことを考えるたびに、僕は「お茶のことを知らないでいることはすごくもったいないことだ」と思うのです。歴史を知ることで、飲むお茶の味も変わってくると信じているのですがどうでしょう。

「お茶は最初は、しょうがやみかんの皮など他の植物と一緒に煮た茶粥のようなもので、飲むというより食べるものとして、主に上流階級で用いられていたようです。」

その後、薬学者によって煎じ薬として普及し、やがて僧侶や文人などの間で流行となって日常的に飲まれるようになる。

7〜10世紀に中国全土でお茶の木が栽培されるようになると、庶民にも普及したようですが、当時飲まれていたのは蒸した茶葉を臼でついて小さく固めたものを粉末にして沸騰した湯に入れて飲んでいたようです。」

10〜13世紀には、日本の抹茶の原形のようなものが飲まれていたようですが、粉末よりも茶葉を釜で炒った緑茶の方に移行し、ふた付きの茶わん=蓋碗が現れ、よりお茶を楽しむ習慣ができたようです。

14〜17世紀になると、釜炒りの緑茶、特に龍井茶(ろんじんちゃ)が有名ですが、白い磁器の茶わんが使われるようになり急須もこのころ使われ始めたようです。

日本にお茶が入ってきたのは鎌倉時代(12世紀〜14世紀)で、当時はやはり抹茶が主流でしたが、江戸時代には、茶葉にお湯を注いで飲む習慣ができたようです。

17〜20世紀は、お茶(中国茶)の最盛期。「今に伝わる茶葉や道具や様式のほとんどが完成した時期といえるでしょう。」

この頃、(青茶である)烏龍茶が出現して、小さな茶壺(ちゃふー)を使い、何回も注いではお茶を楽しむ工夫茶器(こうふちゃき)ができた。


中国でのこのお茶の爛熟期に、13世紀ごろから始まり15世紀ごろ徐々にヨーロッパ人が海を渡ってアジアにやってくることになる。これがいわゆる大航海時代。
(大航海時代とは、15世紀中ころから17世紀中ころまで続いたヨーロッパ人によるインド・東アジア・アメリカ大陸への進出をいう。)

特にヨーロッパの勢力争いに勝ったイギリス人は、アジアの珍しい茶器やお茶を購入して自国に持ち帰ったところ、これが流行り、最初は緑茶、つづいて烏龍茶、さらに(中国)紅茶へと嗜好が移って行くのです。

最終的には、19世紀に入り自国の植民地インドでの紅茶の栽培に力を注ぎ、産業革命とも相まって、紅茶を大量生産する方法を考え出し、全世界に英国紅茶を知らしめることになる。

第二次世界大戦後は、紅茶の生産国であるインドおよびスリランカ(セイロン)は独立し、現在のような紅茶の直輸入が可能になり、カンテでも1970年代初めには1トン単位での紅茶の輸入を始めています。


中国の南方で発見されたお茶の木は、時代を経て、日本、インド、スリランカ、アフリカ、東南アジアへと栽培地域を増やしてゆき、その土地の気候風土や栽培方法によっていろいろなお茶が誕生することになりました。

緑茶、烏龍茶、紅茶、黒茶。楽しみ方は色々ですが、そのルーツは皆同じなのです。そのことがまた僕をお茶の世界に思いを馳せさせるのです。









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