[ 神原通信 ]

2025年3月17日(月

<「チャイとカンテのよもやま話」

チャイのワークショップの相談から転じて僕のトークショーを開催してくれることになった、というお話です。

カンテの元スタッフ:マツリカちゃんが運営している『けせら工房』というのがありまして、彼女と一緒に畑で野菜を作って販売している人が、豊中市中桜塚にある古民家を昨年から5年間の契約で借りて、仲間を集い「商い」をされているんですね。

ある時、チャイの話になったらしく、マツリカちゃんが「そういえば古民家の近くに元カンテのチャイマスターが住んでるから、チャイのワークショップをやってもらったら?」ということで僕のところにメールが来たと、そういうことです。

古民家の場所を聞いて調べたらなんと僕の家から歩いて10分ぐらいのところにあった!

「じゃあ、一度相談しましょうか?」ということで、いつものように「秘密の神原部屋」に来てもらって色々と話をしていくうちに、特に「カンテ」の話が面白かったみたいで、「ワークショップの変わりに、古民家でもっとカンテや神原さんのことをしゃべってくれますか?」と。

「最低でも10人集めてもらわないと僕の日当が出ないので、集められたらやります。」

丁度4月は、その古民家で商いを始めてから1年になるので、それを記念に僕のトークショーを企画してくれたのが今回の催し物というわけですね。

下のちらしは、主催者側の気持ちが伝わるなかなかいい文章です。

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よもやま

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「昭和100年企画」ということですので、昭和の半分を生きてきた僕の生き様を中心にしゃべってみましょうか。

さて、それはいいんですが、この古民家、実に分かりにくい場所にあるんです!
昔ながらの同じような民家が建ち並ぶその地域は、目印になるようなものが少なく、道がくねくねしていて、いちど迷うと方向感覚がなくなり、地図を持っていても自分がどこにいるのか分からなくなるという、正に迷路。

なので、参加者の中には初めてこの場所に来る人もいると思うので、そんな人に分かるように地図を作ってみたのがこちらです。→<古民家nokisaki+の地図>

この地図でもたどり着けないかもしれないけど、その場合はGoogleマップで住所を検索して自力でおいでください。

住所は、豊中市中桜塚1丁目11-10 です。

インスタグラム:古民家nokisaki+

テレビ大阪の番組で紹介された時のもの(2025年2月)
【ナジャ&前田アナ】大阪・豊中で発見!謎の民家カフェ【片っ端から喫茶店】

 

2025年3月1日(土

<友達に会う

二日前、久しぶりに宇高君と会ってきました。

宇高君とは同郷で家が近く、幼稚園が一緒だったので友達になり、小学校と中学校は一緒、高校と大学は別だったけど、ずっと友達でいられる存在であり弟や奥さんと同じぐらい大事な人でもあります。

彼と「ずっと友達でいられる関係」とはどういう関係なのかというと、「相手の事が気になる関係」と言うんでしょうか。同じ背格好で、同じ環境で育ち、同じように田舎を出て、同じように歳を重ねていると、ふと立ち止まり「あいつは今何をやってるんだろう?」と気になりとりあえず連絡してみる。「生きてるか〜」って問いかける。「生きてるよ〜」と答えてくれる。そんな関係。ある意味、自分の分身がどっかで僕と同じように、でも僕とは違う生活を送っているのを時々確かめてみる、そんな関係ですね。

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高校を出て僕は大阪の吹田で普通の大学生に、宇高君は富田林の美術系の学校へ。
僕は賄い付きの学生下宿で、彼は民家の1階を借り切り自炊に励む暮らし。

一度、彼の住処へ行った事がありましたが、晩ご飯にハンバーグを作ってくれることになったんだけど、1時間経っても料理は出て来ず、2時間ぐらい経って、お腹がぺこぺこになった頃やっと食事にありつけた。おいしかった。
何事も凝り性で、ある時、彼が荷造り用の紐で編んでくれた肩掛けバッグを1年程使っていたことがありました。

ふたりともロックが好きで、彼の方が早くロックに目覚めたので、よくレコードを借りてました。ローリング・ストーンズ、ロッド・スチュアート、レッド・ツェッペリン、スティーライ・スパンなど、彼から教えられたアルバムは数多い。

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前置きが長くなったけど、メールでは3年前に連絡した記録があるけど、会うのは7,8年ぶりかも。

相変わらず、足を引きずるようにひょこひょこ歩く。いつもの笑顔。
待ち合わせは、あべのキューズモールのスタバ前。
彼は奈良に住んでいるので、豊中と奈良の中間地点がいいかなと思い、ここに決めた。平日の13時だったらスタバでゆっくりしゃべれるかな、とか思ったんです。

ところが、会うなり「食事は近くに『KYK(とんかつ屋)』があるからそこでいい?」「どこでもいいよ。そこへ行こうか。』

陸橋を使って通りの向こう側へ行き、路地を入るとお店があった。

「ランチがあるからそれにしよう。」彼はメンチカツ定食、僕はヒレカツ定食。

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僕は29歳で結婚してカンテの仕事に没頭している頃、彼は理容店の店先にあるクルクル回る看板を作る会社に入り、仕事の合間に抽象的な造形作品を創作して個展を開くという生活。その後彼も結婚。

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50歳の頃、僕はカンテでギャラリーのブッキング担当をしていたので、「カンテで個展をやってみる?」と声を掛けたこともあります。1週間の個展の合間を縫ってギャラリーでレコードコンサートをやってみた。お客さんは誰も来なかったので2人で、ロックのレコードを掛けまくった。

その後何年かして彼は離婚。
転職して、アメリカのサン・ディエゴでプラズマテレビを造る工場の主任をしていたこともある。時々、メールやはがきが来て、ビーチの写真やヨセミテ公園の写真を送ってくれた。アメリカの西海岸で行われていた数々のロックコンサートのライブ話もしてくれた。

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「KYK」で食事をしながら色んな話が飛び出して来た。

去年の7月に個展の会場で知り合った女性と意気投合して、今度結婚するそうだ。彼女も同年代で、作品も造ってるし、音楽の趣味とかも合うみたい。婚姻届は出さない事実婚で、今はお互いの家からの通い婚だとか。

今は仕事も辞めて年金暮らし。安い奈良の古民家を2軒買ってアトリエにしているらしい。
彼は僕と同じく昔からオーディオやパソコンが好きで、今でも70〜80年代の音楽をガンガン聞いているそうだ。今度はサラウンドを考えているとか。

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僕は彼のそういう自由奔放さが好きだ。昔から彼は発想が自由だった。
僕たちふたりは中学生の頃、電池で動く戦車のプラモデルが好きでよく競走させてたんだけど、高校に入って戦車を塗装するのが流行った頃、僕は説明書通りにペイントして彼の家に持って行ったら、彼はなんと戦車をピンク色に塗っていたのだ!

ピンクの戦車!?
それもきれいに塗るとかじゃなくて、思いに任せて塗りたくっていたのだ。
僕には絶対にそんなことは出来ない!

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食事が終わり、「キューズモールのフードコートでコーヒー飲もうか。」と僕。
店の外に出たら、でっかいビルがあって上を見上げたらひっくり返りそうになった。
「これがあべのハルカスか。でかいなぁ。」

キューズモールもでか過ぎて、入口からフードコートに着くまで5分以上かかったけど、ミスタードーナツでフレンチクルーラーとブラックコーヒーをひとつずつ買って話を続けた。

「これから先どうすんの?」

「田舎には帰らないし、ここで過ごすんだろうなぁ。三重県の志摩市にもう一軒あるけど、あそこは夏は絶対無理、暑過ぎて。」

「自分、エアコン使わないからなぁ。」

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彼はiPhoneを持っているけど、ソフトバンクとは解約してる。仕事をしてないから電話する事もないからかな。それは携帯電話じゃなくてネットとメールをするだけ。それもWi-Fiで。昔のiPodのようだな。

奈良の田舎に住んでいて、老人会に入ってるって。1ヶ月1,000円。時々食事会があって、1万円ぐらいの食事が出て来るらしい。そのかわり、近所で困りごとがあると参加して手伝うことが条件。

服は今度結婚する人が同じ背格好なので、借りてきたそうだ。
贅沢はしないけど、心は贅沢だ。僕にはできないけど。

とりとめのない話をだらだらと3時間ぐらいして、「またね。」と別れた。

帰りの電車の中で思った。
宇高君は、もうひとりの僕だな、と。
人生という道を歩いていると、かならず道が二つに分かれていて、どちらに進むかによって人生が大きく変わる。宇高君が選んだ道は僕のとは違うけど、たまたまそうなっただけだ。

彼の人間性はこどもの頃とちっとも変ってない。
僕もそうだ。

また何年か音信不通なんだろうなぁ。でも、彼はいつまでも僕の友達です。

 

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