[ 神原通信 ]

2024年3月24日(日

<『砂の器』>

砂の器

ブルーレイ画質★★★☆☆

リマスターしてるはずなんだけど、画質は思っていた程よくなかったなぁ。
まあ¥2,500だったからいいか。
予告編的に、丹波哲郎と森田健作の食堂での会話のシーンを観て買おうと思った。
すごく自然な演技なんだよね。

何年も前に観て号泣したから、今回もそうなるかなと思ったんだけど、そのことよりも丹波哲郎の演技に魅入ってしまった。それに、脇役で色んな名優の演技が観られるのもよかった。加藤嘉、浜村純、春川ますみ、懐かしい。子役がちょっとミスキャストかな。健康的すぎる。

2時間23分

YouTubeで見つけたレビューの解釈が面白かった。(ネタバレなので注意)

「野村芳太郎監督の「砂の器」は、松本清張の原作の小説を遥かに凌駕している、まさに日本映画の歴史に残る名画の1本で、宿命のもつ哀しみを打ち破ろうとする人間の栄光と挫折を描いた作品です。

映画「砂の器」の冒頭の画面一杯に広がる、北辺の夕焼けを背景に、襤褸をまとった幼児がただ一人、濡れた砂を手に一杯盛って、無心に作り続ける砂の器は、朝の陽光を浴びて、ただひたすら崩れ去るしかないという寓意を込めた、このタイトルシーンに我々観る者は、映画的陶酔感に酔いしれ、「砂の器」という映像的世界に引き込まれていきます。

親と子の貧困と宿命のどうしようもないしがらみを、あらゆる手段で振り切り、天賦の音楽の才能で人生に立ちはだかる壁を打ち破ろうとする、一人の人間の成就するかに見えた栄光と、その後に訪れる残酷な挫折を、砂の器に盛られたものを人生のもろさに重ね合わせ、深い哀惜と共感をもって映画「砂の器」は描いていきます。

裕福で家柄も良い出自の人々にとって、その人間の持つ才能は恵まれた環境を後ろ盾として、順調に育ち、そして自然と評価され、頑丈で壊れない"鉄の器"の中で、その人間の人生は例えそれが一抹の虚像であっても、容易にぐらつくものではありません。

しかし、自分自身ではどうしようもない自己の出自による、宿命のもつ哀しみとつらさが、音楽の才能に恵まれたばかりに、宿命からの脱却が、やむなく犯罪へと突き進んでいくというアイロニーになっています。

松本清張の大ベストセラーの原作の「砂の器」は、彼の初期の代表作だと言われていて、社会と人生を投影させた、静かで哀愁に満ちたサスペンスの高揚は、人生の深淵を垣間見せながら、栄光と破局が同時に訪れる最終章へとなだれ込んでいきます。

この原作の発表当時から、その映画化に執念を燃やし続けた野村芳太郎監督と脚本家の橋本忍の名作「張込み」のコンビは、この構想を15年間も温め続け、共同でプロダクションを設立してまで映画化にこぎつけたそうです。

橋本忍は「一人で生まれることはできない。一人で生きていくこともできない----しかし魂はみんな孤独なのだ」というコンセプトのもと、この優れた砂の器のシナリオを完成させました。

推理小説の映画化は難しいとよく言われますが、橋本忍のシナリオは原作を換骨奪胎し、推敲を重ね六稿目でようやく納得のいくシナリオが完成したそうです。

原作の小説は、犯人が幼年期の人生の恩人である元警察官の三木巡査(緒方拳)を殺害する動機に説得力が欠けるとの書評が数多くありましたが、橋本忍のシナリオは、その弱点をカバーしようとする優れた内容になっていると思います。

模範的な巡査で、人に対してもひたすら親切であったという三木巡査が、あるきっかけで、成人した和賀(加藤剛)の存在を知り、懐旧の念から上京して和賀に対して、現在もなお生きているハンセン氏病の父親(加藤嘉)との再会を強硬に迫った事が、成功を目前にした和賀にとって、自己の出自の発覚を恐れた、打算的な殺意を生んでしまったという一般的な解釈に対して、橋本忍はそこから更に深く突っ込んで、三木巡査の善意からの和賀への説得であるとはいえ、それだからこそ耐えられない人間の心に、ある意味、強引に踏み込んでくることへの反発・抵抗する気持ちが、殺意へと向かっていったとする解釈へもっていきます。

また、この時の和賀の心理的な深層心理を考えてみると、人目には哀れだと見える親子の巡礼の旅が二人にとっては、何事にも代えがたく嬉しく懐かしいものであり、その状況を引き裂いて、父親を療養所へ送ってしまった三木巡査への幼い日の恨み・憎しみが根付いたままであったとも言えると思います。

だからこそ、この父子の永遠の別れになる、亀嵩駅の停車場で列車を待つ父親のもとへ必死に走り、父親へすがりついて泣きじゃくる和賀のシーンが、この映画の中でも最も感動的なシーンになっているのだと思います。

この亀嵩駅での別れのシーンは、映画史に残る、まさに名場面のひとつとして長く記憶に残り、思い出すたびに目頭が熱くなってきます。

そして、この映画の白眉とも言える、ピアノ協奏曲「宿命」の新作発表会と新進作曲家として脚光を浴びる和賀を追い詰める警視庁の捜査会議、そして、そこに回想され、掘り起こされる和賀の思いがけない暗い宿命的な過去。

この三つの演出上の同時進行と交錯する場面が、流麗で悲愴ともいえる「宿命」という演奏される曲によって、胸を締め付けられるように盛り上げていく、最後の40分間の長いワンカットは、野村芳太郎監督と脚本家・橋本忍のこの映画に賭ける思いが全精力で注がれており、小説では味わえない映画という表現媒体のもつ強み・素晴らしさが最大限に発揮されていると思います。

この映画での現地ロケは17,000km、フイルムの使用量は20,000メートルで通常の映画の約10本分ということで、厳しい冬の竜飛岬、早春の信濃路、初夏の北関東、真夏の奥出雲、紅葉の阿寒と日本全国を漂泊していく親子の巡礼の旅を、撮影監督の川又昴は、格調高く日本の四季の風景の美しさ・たたずまいを丹念に心を込めてカメラに収めていて、この映画にある種の風格を与え、より感動的なものにしていると思います。」

話はかわるけど、松本清張の「点と線」を検索してて、なぜか全編が観られるYouTubeがあったので30分ほど観たけど、時代背景とか当時(1958年)の昭和感満載でよかった。主演が南広(みなみひろし)、監督が小林恒夫。両方ともよく知らないからなおさら興味深い映画でした。

でも次の日に、続きを観ようと履歴を探したら消えていた。色々さがしたけど予告編だけしか探せなかった。あれはなぜ観られたんだろう?謎です。

 

2024年3月12日(火

<『エイリアン』>

エイリアン

ブルーレイ画質★★★★☆

画質はまあまあ

これも持っておきたい映画の1本ですね。DVDでも持っていますが、ブルーレイもいいです。
リドリー・スコット監督も2本目の映画ということで力が入ってます。低予算ながら照明に凝ったりエイリアンの見せ方がうまいです。
乗組員たちも演技者揃いなので安心して観ていられます。
それにエイリアンの造形はやっぱり1作目が一番。「2」、「3」、「プロメテウス」、「コヴェナント」を観ましたが、どれもダメ。(4作目は気持ち悪そうなので観てません。)

このブルーレイは廉価版なので、1,500円。特典映像はDVDにあるし。
ブルーレイの音声解説には、トム・スケリット、ジョン・ハート、ヴェロニカ・カートライト、ハリー・ディーン・スタントンが楽しげに解説してくれています。

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「エイリアン」が公開されたのは1979年7月。当時、僕はまだ印刷会社の社員でした。

仕事場の近所の喫茶店で冷コー(アイスコーヒー)を飲みながら、そこにあった雑誌で公開前の写真が特集されていたのを見た記憶があります。
そこには小型エイリアンが腹から飛び出して来る様子が写っていて結構衝撃的な写真ではありましたが、成長したエイリアン本体は謎のままでした。

1977年に「スター・ウォーズ」が公開されて以来、特撮ものの分野が活気づいてきていた時代でしたから、かなり期待して映画館に行きました。

見終わった後、ホラーとまではいかないけど、スリラーとしてはかなりうまい演出だなあというのが僕の感想で、それ以上に、出て来る宇宙船やエイリアン本体のデザインに魅了されました。

翌年の1980年にアメリカ旅行をすることになるんですが、たまたま入った古本屋でエイリアン特集(制作秘話的なもの)の本をみつけ、前半はノストロモ号に関する資料、後半はエイリアンの造形を担当したH.R.ギーガーの制作風景とかで構成されていて、それ以来、映画「エイリアン」に夢中になったのでした。

エイリアン

エイリアン

この鎧のような宇宙服がいいですね。
デザインしたのはたしかメビウス(ジャン・ジロー)だったと思います。

右の子供が着ている写真は、異星人の宇宙船に入る時、出来るだけ宇宙船を大きく見せるため、子供を使ったということです。

スペースジョッキー

宇宙船の中に鎮座していたのは、操縦士とおぼしき宇宙人。石化して台座に溶け込んでいるようなデザインはギーガーで、「スペース・ジョッキー」と名付けられていました。
これを立体にしたのが下の写真。

スペースジョッキー

かっこいいですよね。

この台座の下に、エイリアンの卵がたくさん敷き詰められている設定でした。

エイリアン

成長したエイリアンがこれ。

右側に立っているのがギーガーで、かなり大きな着ぐるみなんですが、中に入ったのはアフリカの人なんですねぇ。

これ以上の異星人は未だ現れていません。

口の中にもうひとつ口があって、それのギミックを担当したのが、カルロ・ランバルディという人で、キングコングの口を担当してた人でもあります。

 

宇宙船

エイリアンの乗っていた宇宙船。

左がギーガーの描いたデザイン画で、1作目ではもやのかかった中にぼんやりと見えていただけでしたが、のちの「プロメテウス」では、CGで飛ばしていたのがカッコよかったです。推進力が何なのかは表現してなかったですが。

エイリアン

あと、印象的なのはエイリアンの卵ですね。

卵

もともとのギーガーの描いたデザインはかなり気持ち悪いですが、映画でもかなり似せて作っています。

中にいるのが「フェイスハガー」。
これが飛び出して人間の顔に張り付き、口から幼虫を人間の体内に送り込み、ある程度大きくなったら人間から飛び出し、さらに脱皮をして成長してエイリアンとなる。

でも、栄養源となるものがないのに大人のエイリアンになるには、ちょっと時間的に早過ぎますよね。

エイリアン

エイリアンが好き過ぎて、2000年になってからですが時計を買ってしまいました。

本当は、時計よりおまけで付いて来たエイリアンの卵(これがケースになっている)が欲しかったんですよね。

参考までに:これを読むとさらに「エイリアン」に興味を持てますよ。

映画「エイリアン」ができるまで〜無名の生みの親ダン・オバノン

 


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