[ 神原通信 ]

 

2019年4月1日(月

『昼寝タピオカツンドラ』>

 Apple Musicから拾った曲で、またまた昼寝用のBGMを作ってみました。今日のお昼にテストしてみましたが、時間もバッチリで良く眠れました。(笑)

ゴーホーム Go Home Girl

アーサー・アレクサンダー
「Arthur Alexander」
・ライ・クーダーは隠れた名曲をカバーするのが得意な人ですが、これもその内のひとつ。ほぼ、原曲通りに歌っているのがわかります。

ダイアモンド This Diamond Ring ゲイリ・ルイス&ザ・プレイボーイズ
「ベスト盤」
・先日亡くなったハル・ブレインを偲んで、ドラムを中心に聴いてみましょう。特徴がよく出ています。
ソロモン Cry to Me ソロモン・バーク(シングルバージョン)
「ベスト盤」
・マイクの前で熱唱している姿が浮かびます。バックコーラスも抜群。ローリング・ストーンズがカバーしてますが、曲調は違います。
タピオカ Tapioca Tundra マイケル・ネスミス(インストゥルメンタル)
「The First Nathional Band--Nevada Fighter」
・元々モンキーズの曲ですが、彼がモンキーズを脱退してから録音した曲。このバージョンがYouTubeになかったので、ボーカルバージョンのデモをリンクしました。2分30秒ぐらいから始まります。
グッバイ さよならは悲しい言葉 グラディス・ナイト&ザ・ピップス
「Neither One Of Us」
・グラディス・ナイトはいつ聴いてもいい声です。ザ・ピップスは平凡です。
ジョン Mr.John

アーサー・アレクサンダー
「Arthur Alexander」
・この曲には衝撃を受けました。歌詞がどこを探してもないので歌の内容は分かりませんが、まるで鎮魂歌のようです。この曲を聴いて「与作」を思い出しました。似てる。

ブレッド Make It With You ブレッド
「On The Waters」
・ブレッドの曲を、今まで誤解していました。全然軟弱ではありません。ギターのフレーズが耳に残ります。
ジャスト明日 You and I

ザ・モンキーズ
「Justus」
・一番音楽に縁遠かったデイヴィーが最後に残した名曲です。ザ・モンキーズ、フォーエバー。

8曲26分

余談ですが、「与作」について・・・

「「与作」(よさく)は、1978年3月25日に発表された日本の歌謡曲。北島三郎や千昌夫などの歌手によるシングルが発売されている。」(ウィキ)

 1978年といえば、僕がまだ印刷会社の営業をしていた頃。得意先の会社まで営業車で出かけたんだけど、約束の時間に少し余裕があったので、車で待機していた時、ラジオから北島三郎が歌うこの曲が流れて来て、衝撃を受けた。「なぜこんな曲を北島三郎が歌っているんだろう。」と。歌謡曲(演歌)らしからぬ題材。「よさくはきぃ〜をきる〜、トントント〜ン、トントント〜ン」。僕は車の中で凍り付いた。世間の人も同じだったらしく、オリコンチャート25位まで到達している。
 あれから41年、ウィキで調べてみると・・・

「七澤公典が作詞・作曲し、NHKの音楽番組『あなたのメロディー』に応募した作品である。七澤は1976年、ジャズギタリストを目指して渡米したが、日本人が本当のジャズ奏者になるのは無理だと悟り、帰国したところであった。渡米の反動から、日本的なものを志向して作ったのが「与作」である。「与作」は一度は却下されたが、改良を重ねて再提出され、番組では弦哲也が歌唱し、年間最優秀作品に選ばれた。弦の他に北島三郎、千昌夫らがシングルを発表。原曲に少しアレンジを加えた北島のバージョンが最もヒットした。競作で発売されたレコードの累計売上は60万枚に達した。」

 YouTubeには、弦哲也版「与作」がある。(北島三郎は無し)
 ジャズギタリストの
七澤公典は、作曲当時、アーサー・アレクサンダーの「Mr.John」を聴いたことがあったのだろうか?

 

 

2019年3月29日(金

モンキーズの真実:その2>

music_box

 今回は、Wikipediaの日本語版と英語版の解説および4枚組ベスト盤「MUSIC BOX」(2001)の解説を元に、ザ・モンキーズのオリジナル・アルバムを年代順に並べてみたのと、どういう経緯でモンキーズが出来たのかを探ってみました。

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 1964年、イギリスとアメリカ国内におけるビートルズの過熱ぶりを目の当たりにしたレイバート・プロダクション(バート・シュナイダーとボブ・ラフェルソンの二人)は、アメリカ国内でもスターグループを生み出そうと、ビートルズ主演の『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』をヒントに同様のテレビ番組を制作することを思いつく。
 1965年8月16日、スクリーン・ジェムズ・コロンビアが彼等の企画を買い、パイロット版(プレゼン用の番組)製作の許可を与えた。

 音楽業界紙『デイリー・ヴァラエティ』にレイバート・プロダクションの名でオーディション広告を出すと、若者達約400人が集まり、1965年9月8日、カリフォルニア州ロサンゼルスでデイヴィー・ジョーンズ、マイク・ネスミス、ピーター・トーク、ミッキー・ドレンツの4人がメンバーに選出された。

 パイロット番組の音楽を担当させられたのは、スクリーン・ジェムズの音楽部門:スクリーン・ジェムズ音楽出版に所属していたソングライターチーム、トミー・ボイスとボビー・ハート(以後ボイス&ハート)。番組は「ザ・モンキーズ(ショー)」と名付けられてはいたが、オーディションと撮影と音楽は同時進行で行われていた為、パイロット版では、彼等が歌を歌っていた。(ちなみに、「モンキーズのテーマ」として作られた曲は、デイブ・クラーク・ファイブの「若さをつかもう」という曲に影響されたそうです。)

 1966年1月、パイロット版は好評とは言い難かったが、成功の可能性を感じたNBCは、1966年1月17日、スクリーン・ジェムズ・コロンビアから番組を買った。さらに、レイバート・プロダクションは、モンキーズが番組ですぐれたサウンドトラック(曲)を作れば、成功間違いなしと判断し、半年間を掛けて彼等に演奏させるもうまくは行かず、最終的には、スクリーン・ジェムズ音楽出版に楽曲と演奏を準備してもらい、番組の映像と合体させるという方法を考え出した。ただし、それには条件があり、モンキーズのメンバーは、リード・ボーカルの収録以外はレコーディングに参加する事を厳しく禁じられていた。なぜなら、当時の楽曲の作り方は、まずバック・トラックをつくり、それにボーカルを乗せるのが一般的だったから。

 スクリーン・ジェムズ音楽出版の当時の社長:ドン・カーシュナーはいち早く、売れるロックン・ロールの楽曲を書けるソングライター達を集め、有名なシンガーにその曲を買ってもらうことで成功を納めた人物。
 しかし、チャック・ベリーやビートルズの登場によって、ソングライター自身が歌うというスタイルに移行してしまうと、自分たちの仕事が無くなることへの危機感から、「ザ・モンキーズ(ショー)」の前評判がいいことに目を付け、モンキーズにどんどんいい曲を書いて送れば、それだけ買ってもらえる(儲かる)と考えた。
 そこで、スクリーン・ジェムズと契約しているゴフィン&キング、ニール・セダカ、ジェフ・バリーといった最高のソングライター達に曲を一斉に書かせ、その中から20曲ほどを選び出し、それらを6月と7月にいろんなプロダクション・チームによってロサンゼルスで録音させた。

 1966年8月、紆余曲折の末、デビュー曲「恋の終列車(Last Train to Clarksville)」をリリース。
 1966年9月、NBC系列で「ザ・モンキーズ(ショー)」が始まる。
 1966年10月、アルバム「The Monkees」リリース。

モア

  アルバム名 プロデューサー メンバー
1966 「The Monkees」
(邦題:恋の終列車)
ボイス&ハート、ジャック・ケラー、
マイケル・ネスミス
ミッキー・ドレンツ、デイヴィー・ジョーンズ
ピーター・トーク、マイク・ネスミス
1967 「More Of The Monkees」
(邦題:「アイム・ア・ビリーバー」)
ボイス&ハート、ニール・セダカ&キャロル・ベイヤー、マイケル・ネスミス、ジェフ・バリー、ジャック・ケラー、
ゴフィン&キング
ミッキー、デイヴィー、ピーター、マイク

 2枚目のアルバムが出た頃から制作者サイドとメンバー間の軋轢が目立つようになる。当初、2作目以降はメンバー自身もアルバム制作に関われるという話であったが、モンキーズの音楽部門の責任者であるドン・カーシュナーはこれを一切認めず、ファーストアルバムまでの時点に収録が終わっていながら未発表になっていた自身の音楽出版社所属の楽曲を使用し、スタジオミュージシャンのバッキングトラックにボーカルを乗せた音源を使用して制作したアルバムをメンバーの知らないうちに発売した。

 さらにカーシュナーは、ニール・ダイアモンドの提供曲『恋はちょっぴり (A Little Bit me, A little Bit you)』を3枚目のシングルとして発売することにしていたが、B面に使用する曲を当初予定していたマイク作詞・作曲の「どこかで知った娘 (The girl I knew somewhere)」ではなくジェフ・バリー(Jeff Barry)の手による「シー・ハングズ・アウト (She hangs out)」に無断で差し替えて発表する。この暴挙にマイクが激怒し、当初予定通りの「恋はちょっぴり/どこかで知った娘」のシングル盤を独自に制作。「これこそが本物のサード・シングルだ」として記者会見を開き、マスメディアを巻き込んだクーデターを決行し、カーシュナーを追い出したマイクは、代わりに当時「ハッピー・トゥギャザー」のヒットを飛ばしたタートルズのチップ・ダグラスをプロデューサーに迎えて3作目をリリースした。

ヘッドクオーター

  アルバム名 プロデューサー メンバー
1967.5 「Headquarters」
(邦題:「灰色の影」)
チップ・ダグラス&The Monkees ミッキー、デイヴィー、ピーター、マイク

このアルバムには、自分たちの選曲した曲と自作曲が収録された。演奏もホーン・セクションを除いてはすべて自分自身で行なわれたこのアルバムは、テクニックが稚拙なためにガレージパンクのような荒さがあり、レコーディング中のお遊びなども収められた。当時の4人の等身大を表現する作品に仕上がったものの、売り上げは前作を若干下回る(なお、このアルバムの次にチャート・トップに立ったのは『サージェント・ペパー』である)。その後、撮影、レコーディング、ツアーなどの時間的な制約から、演奏はスタジオミュージシャンを使用する方式に戻った。

スターコレクター

  アルバム名 プロデューサー メンバー
1967.11 「Pisces, Aquarius, Capricorn & Jones Ltd.」
(邦題:「スター・コレクター」)
チップ・ダグラス ミッキー、デイヴィー、ピーター、マイク
1968.4 「The Birds, The Bees & The Monkees」
(邦題:「小鳥と蜂とモンキーズ」)
チップ・ダグラス&The Monkees ミッキー、デイヴィー、ピーター、マイク

 1968年3月に、TVシリーズが終了するとともに、モンキーズの人気も下降し、「小鳥と蜂とモンキーズ」の売り上げは「スター・コレクター」に及ばなかった。

 1968年2月から5月にかけては、映画『HEAD』の撮影が行われた。「これまでに作り上げたアイドルとしてのモンキーズをぶち壊す」というボブ・ラフェルソンの意図により、出来上がった作品は細切れのシーンをつなげたパッチワークのような難解な作品となり、同年11月に公開されたものの興行的には失敗に終わる。この作品の脚本はジャック・ニコルソンが手がけ、デニス・ホッパーが出演している。

head

  アルバム名 プロデューサー メンバー
1968 「 Head」 The Monkees, Gerry Goffin ミッキー、デイヴィー、ピーター、マイク

 1968年9〜10月 太平洋ツアー 
10月3・4日に日本武道館で、10月5日に京都会館で、10月7・8日に大阪フェスティバルホールでそれぞれ公演。

 太平洋ツアーの後、1968年11月に放送されたNBCのスペシャル番組『33 1/3レボリューションズ・パー・モンキー』の出演後、ピーター・トークがグループを脱退。その後、モンキーズは3人で活動を行う。

インスタント

  アルバム名 プロデューサー メンバー
1969.2 「Instant Replay」 Producer : Micky Dolenz, Michael Nesmith, Tommy Boyce, Bobby Hart, Neil Sedaka, Carole Bayer Sager, Davy Jones, Bones Howe

ミッキー、デイヴィー、マイク
ピーター・トーク在籍時に録音済みだった未発表曲を寄せ集めたアルバム

1969.10 「The Monkees Present」 Micky Dolenz, Michael Nesmith, Davy Jones, Tommy Boyce, Bobby Hart, Bill Chadwick ミッキー、デイヴィー、マイク

この後、マイク・ネスミスは莫大な違約金を払ってモンキーズを脱退し、ファースト・ナショナル・バンドを結成してソロ活動へと移る。

チェンジ

  アルバム名 プロデューサー メンバー
1970.6 「The Changes」 Micky Dolenz, Davy Jones, Tommy Boyce, Bobby Hart, Bill Chadwick, Jeff Barry ミッキー、デイヴィー

同アルバム発表と時期をほぼ同じくして、モンキーズは解散した。

1975年、最後まで残ったモンキーズのメンバーであったミッキー・ドレンツとデイヴィー・ジョーンズ、作曲家チームであったボイス&ハートが加わり「ドレンツ・ジョーンズ・ボイス&ハート」を結成する(日本では「ニューモンキーズ」として紹介された)。

1986年、MTVでの『ザ・モンキーズ・ショー』再放送をきっかけにアメリカでリバイバルブームが起こる。

プール

  アルバム名 プロデューサー メンバー
1987 「Pool It !」 Roger Bechirian ミッキー、デイヴィー、ピーター

1987年「Missing Links (album)」発売(未発表曲やバージョン違いを収録)

1990年「Missing Links 2(album)」発売

1996年、結成30周年を祝って、マイク、デイヴィー、ミッキー、ピーターの4人が揃ってスタジオに入る。

ッジャスト

  アルバム名 プロデューサー メンバー
1996 「JUSTUS」 The Monkees ミッキー、デイヴィー、ピーター、マイク

2011年、結成45周年を記念して再結成

2012年、デイヴィー・ジョーンズ死去

2016年、結成50周年を記念してアルバムをリリース。

good

  アルバム名 プロデューサー メンバー
2016

「Good Times !」
Recorded : 1967, 1968, 1969, February–March 2016

Adam Schlesinger, Andrew Sandoval ミッキー、ピーター、マイク

2019.2月、 ピーター・トーク死去

(つづく)

 

 

2019年3月25日(月

『夢のない男』>

 Apple MUSICで、音楽を「見つける」のが習慣になってしまっています。メールをチェックして返事を書くと、すぐにiTunesを立ち上げます。今は「ザ・モンキーズ」で検索を掛けることが多いです。彼らの全てのアルバムには一応目を通しましたし、今はボーナス・トラックを聴いたり、ソングライターは誰かな?と探すのが趣味になっています。「コレクター」とはそうしたもんです。(笑)

 で、今日はその中から『夢のない男』を選んでみました。この曲、聴く前は「どんな曲なんだろう?しょぼくれたおっさん(僕か?)の歌かなとか思いましたが、そうではなくて「君がいなくなって夢をもてなくなったから、帰ってきてくれ」とかっていう情けない男の歌でした。

インスタントリプレイ

モンキーズ版「夢のない男(A Man Without a Dream)」

 作ったのはゴフィン&キング。あのビートルズが憧れたソングライターコンビです。イントロがどこか聴いたことがあるメロディだなあと思ったら、思い出しました。ウォーカー・ブラザーズの「People Get Ready」です。R&Bですね。渋いです。同じじゃないけど。

ウォーカーブラザーズ版「People Get Rerady」(この曲はインプレッションズのカバー)

 なぜ、この曲を選んだんだろうと思って調べてみたら、この曲は「涙の街角(1969)」というシングル盤のB面として選ばれ、この曲をプロデュースしたのが、ボーンズ・ハウという人で、彼はタートルズ、アソシエーション、そして、フィフス・ディメンションなどをプロデュースしたそうで、インタビューによれば「当時は、メンバーがバラバラに曲を作っていて、その中のひとり、デイヴィー・ジョーンズをプロデュースする誰かを探していて僕に辿り着いたわけだ。僕はたくさんの曲をチャートに送ったから、それが何か関係していたんだろうけど、その時期にやってたことと同じようにやっただけ。」と素っ気ない。
 でも、けっこう僕は好きですね。この曲調。

 しかし、この曲はモンキーズ用に作られたわけではなくて、ライチャス・ブラザーズのカバー曲なんですね。だから、こんなに男っぽい曲調なんだと納得。

ライチャス・ブラザーズ版「夢のない男」(日本語の題名が悪いんだな、これ)

 さて、最後はこの曲を作った本人がやってたトリオ「The City」のアルバムからどうぞ。

ザシティ

ザ・シティ版「Man Without Dream」

これもいいなあ。

ついでに、ハル・ブレインのドラムをフューチャーしたバージョンをどうぞ。

モンキーズ版「夢のない男(A Man Without a Dream)」Alternate Take-14

 

 

2019年3月24日(日

『プレザント・バレー・サンデイ』・・モンキーズの真実:その1>

 先月、「ザ・モンキーズのメンバー、ピーター・トークが77歳で亡くなった」という記事を読んで軽いショックを覚えました。僕は彼等のTV番組を良く観ていたからです。それほどメンバーに思い入れはなかったんですが、「ピーターってどういう人だったんだろう?」という興味が湧いてきて、色々と調べていくうちに、「ザ・モンキーズって、こんなにもすごいグループだったんだ。」という壮大な物語に出くわしたのです。

 なぜ「壮大な物語」なのかというと、モンキーズはTV番組から登場したアイドルグループではあるんですが、彼等に関わった音楽&映画業界の(僕の関心のある)有名人があまりにも多く、さらにメンバー4人のキャラクターも濃くて、調べれば調べるほど、人間関係が複雑に絡み合っていて、尚かつ、音楽的にも様々な要素の詰まったものが多く、「一度彼等の辿った道のりをまとめてみよう」ということになりました。

 まずは、彼等がどういったグループだったのかを、ネットで拾った当時の情報を元に紹介してみようと思います。下は、1967年7月に発売されたシングル盤の解説なのですが、すごく分かりやすいので、これを書き起こしてみたのが、下の文章です。

モンキーズシングル

 「 Words / ( Boyce - Hart )  Pleasant Vally Sunday ( Goffin - King )

 第二のビートルズとして期待され、成長しているモンキーズの新曲をお届けしましょう。
 モンキーズ誕生に関しては、他のグループ結成のケースとは一寸異なっています。
 つまり、モンキーズは、TVショー番組の為に作られたグループなのです。昨年(1966年)からNBC TVをキーステーションとして全米にネット・ワークするカラー番組「The Monkees」がスタートしました。この番組は午後7時30分から8時までの30分番組で、毎週月曜日に行われたショー番組ですが、モンキーズはこの番組名通りレギュラー出演して歌ったり踊ったりしました。そして、この番組の為に結成されたモンキーズは、たちまちTV番組の人気上昇と共に、全米のティーン・エイジャー達の間で評判になり ”新しいアイドル”となった訳です。
 ビートルズはもちろん、フォーク・ロック・ブームも下火になりつつあった一昨年(1965年)暮れの日本に於いて、本格的ビート・グループ・モンキーズの出現は、たちまち、注目を浴びる所となりました。(注:1)
 
 デビュー曲「恋の終列車」があまりにもビートルズに似たファイーリングを示すので、彼らの将来に対する期待は五分五分といったところが巷の評判でしたが、その後、一作ごとにモンキーズ本来の個性を発揮、アッという間に日本でもスターダムにのし上がってしまいました。
 
 さて、最近のモンキーズについて、こんなニュースが伝わっています。

●ビートルズの最新曲と同時につい先日アメリカで発売されたのが、ご紹介する「Words」と「Pleasant Vally Sunday」です。

●ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌のホット50で「Alternate Title」という曲がビートルズの「All You Need Is Love」に続いて二位を堅持、この曲は、彼らのアルバムからの一曲で、イギリスのみに発売された曲と思われます。(注:2)

●TVの新シリーズが始まりました。今回はドラマ仕立ての冒険物ということで、前回のシリーズとは違ったモンキーズのキャラクターが発揮されることでしょう。(注:3)

●メンバーのデヴィッド(注:4)に徴兵騒ぎが起こってファンを困らせているということです。

 さて、そんな騒ぎとは別に、夏休みに入るとモンキーズはイギリスに向かいます。彼等にとって初のロンドン公演、前人気も上々、ロンドン子を熱狂させる素晴らしいステージが期待されます。
 一方、日本にもやって来るというニュースも届いています。具体的には、まだはっきりしませんが、おそらく来年の一月頃とか。是非、実現させたいものですね。(注:5)

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<メンバー紹介>

★デヴィッド(デイヴィー)・ジョーンズ
 リーダー(注:6)。イギリスのマンチェスター生まれ。身長はチーム最小の5フィート3インチ。以前はミュージカル・スターを志し、ヒット作「オリバー」などに出演した。

★ミッキー・ドレンツ
 カリフォルニア州ロス・アンゼルス生まれ。身長は6フィート。ドラマー。俳優の息子として生まれ、人気TV番組「サーカス・ボーイ」に出演していた。

★ピーター・トーク
 ワシントン生まれ。身長5フィート11インチ。かつては英語の教師を目指したが、二度ほど落第したので断念。グリニッチ・ビレッジでフォークを歌っていた。リード・ギター担当(注:6)。

★マイク・ネスミス
 テキサス州ダラスに生まれる。身長6フィート1インチ。”ウール・ハット”をいつも被っている。それがニックネームになった。彼は最初フォークソングを歌っていた。

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 ところで、今回のニューディスク「恋の合言葉」は、7月22日付けビルボード誌で初登場。いきなり 76位の赤丸。「プレザント・バレー・サンデー」は初登場の51位と、モンキーズならではの偉業であり、二週目の7月29日号では、早くも上位30曲入りを果たし、ベスト10に於いても、必ず上位進出間違いないご機嫌な曲で、両面ヒットが期待されるベスト・カップルです。
                     (解説/TBSディレクター森崎)

注1:「本格的」だったのは録音された曲だけで、彼等は演奏には一切関わっていない。というか、関わる事を許されていなかったのです。それに、ミッキーとデイヴィーは楽器ができなかったという悲しい事実。

注2:「Alternate Title」という名前の曲は知らなかったので探してみたら、なんと曲自体は知っていました。「Rnady Scouse Git」という題名をイギリス向けに代えたみたいです。どういう事情だったかはウィキに書いてあるんですが、英語なのでよく分かりません。「別のタイトル」とはどういう意味?

注3:アメリカでは2シーズンあったようですが、日本ではTBS系列で1967年(昭和42年)10月から1969年(昭和44年)1月にかけて放送された30分番組。ということは、つまり、この曲は放送前に発売されていたことになります。

注4:デイヴィー・ジョーンズの本名は「デヴィッド・ジョーンズ」で、デヴィッド・ボウイも本名が同じなので、混同しないように「デイヴィー・ジョーンズ」に変えたそうです。

注5:1968年9月から10月にかけて、太平洋ツアーを公演。9月にはオーストラリアで7公演を務めた後、来日した。羽田空港にはファンの少女らが殺到し大騒ぎとなる。同年10月3・4日に日本武道館で、10月5日に京都会館で、10月7・8日に大阪フェスティバルホールでそれぞれ公演した。

注6:デイヴィーがリーダーだったとは初耳です。どの記事を読んでも、だれがリーダーをしていたかは不明。

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 さて、話は長くなりますが、このシングルに収録された「プレザント・バレー・サンデイ」の歌詞、最初に僕が目にしたとき、何を言っているのか皆目検討がつかなかったんですが、これもネットに詳しい情報があったので、再録してみます。

プレザントバレー

 <歌詞と和訳>

The local rock group down the street is trying hard to learn their song
通りの向こうで地元のロック・バンドが自分たちの曲を苦労して練習している
Seranade the weekend squire, who just came out to mow his lawn
週末に芝を刈ろうと家の外に出てきた判事のセレナーデ

Another Pleasant Valley Sunday
プレザント・バレーでのいつもの日曜日
Charcoal burning everywhere
あちこちでチャコールが燃えている
Rows of houses that are all the same
町並みはどこを見ても同じだけど
And no one seems to care
誰もそんなことは気にしていないようだ

See Mrs. Gray she's proud today because her roses are in bloom
ホラ、グレイの奥さんが庭のバラが満開に咲いて誇らしげだ
Mr. Green he's so serene, He's got a t.v. in every room
グリーンの旦那はいたる部屋にテレビを置いて晴れやかだ

Another Pleasant Valley Sunday
プレザント・バレーでのいつもの日曜日
Here in status symbol land
ここに住む人たちのステータスが垣間見える
Mothers complain about how hard life is
母親たちはどれほど人生が大変かボヤくけど
And the kids just don't understand
子供たちにそんなことはわからない

Creature comfort goals
安定した生活という目的
They only numb my soul and make it hard for me to see
そのせいで僕の魂は麻痺し、物事が見えにくくなっている
My thoughts all seem to stray, to places far away
僕の思考は遠くをさまよってばかり
I need a change of scenery
目の前の景色を変えなくては

Ta Ta Ta...

Another Pleasant Valley Sunday
プレザント・バレーでのいつもの日曜日
Charcoal burning everywhere
あちこちでチャコールが燃えている
Another Pleasant Valley Sunday
プレザント・バレーでのいつもの日曜日
Here in status symbol land
ここに住む人たちのステータスが垣間見える

Another Pleasant Valley Sunday...
プレザント・バレーでのいつもの日曜日

<解説>

作詞作曲をキャロル・キングとジェリー・ゴフィンが担当しています。歌の内容はごく普通の住宅街でのいつもの日曜日といった感じですが、そんな退屈な毎日から抜け出したいという歌い手の苦悩が歌詞に差し込まれています。最後のまどろみの中に吸い込まれていくような演奏が、主人公の現実逃避を表現しているのではないでしょうか。

Another Pleasant Valley Sunday……
anotherには別のという意味がありますが、この文では「いくつもある変わりない日曜日のひとつ」としてとらえることができます。またPleasant Valleyは地名で良いと思います。Pleasantには喜び、Velleyには谷という意味があります。

Charcoal ……炭、木炭
アメリカに住んでいる時に良くBBQで使っていたCharcoalは見た目もまんまマメタンでした。日本語に訳すと歌の雰囲気とマッチしていないので、そのままチャコールでいきました。発音的には「チャーコール」?

no one seems to care……no one caresで誰も気にしない

Here in status symbol land……
「ここに住む人たちのステータスが垣間見える」と訳した部分を直訳するなら、「このステータスとなる象徴の土地で(のいつもと変わらないプレザント・バレーでの日曜日)」という意味の歌詞になっていると思います。おそらく、このプレザント・バレーでは住人たちが「自分のステータスとなる象徴」を自慢し合っている光景が目に浮かびます。(グレイ婦人の庭に咲き誇るバラとか)

出典:洋楽を対訳する大役

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では、ここで、曲の方を紹介しておきます。

モンキーズ版「Pleasant Valley Sunday」 (演奏シーン付き)

ミッキーのドラムが曲と全然合ってない、というか、合わそうともしてない。

キャロル・キング版「Pleasant Valley Sunday」

この曲ではないですが、ゴフィン&キングがプロデュースした作品は、モンキーズに歌い方のデモとバッキングの完璧な演奏まで渡したそうです。「この通りにやってね」と。

 1967年、僕は13歳で中学2年生でした。この「Pleasant Valley Sunday」の歌詞カードの載っている、当時の音楽雑誌の付録を持っています。その付録は、とある本屋のおじさんと仲良くなった時にもらったものです。(つづく)

 

 

2019年3月22日(金

インド土産のマサラチャイ>

 先日の「チャイレッスン&チャイカフェ』でサモサを作ってくれた八田さんから、デリーへ行った際のお土産で、2種類のマサラチャイをいただきました。

 マサラインド

 マサラ

 で、早速飲んでみたんですが、渋みもエグ味もなく、普通に美味しかったです。茶葉に比してスパイスがそれほど大量に入っているわけではないので、あっさり目に出来上がるので「ポットティーで飲めますよ。」という八田さんのお言葉通り、ミルクティーでもいけました。

 左側のスパイスは「ジンジャー、グリーン・カルダモン、シナモン、ローズ・ペタル、アニスシード、クローブ、ブラックペッパー、ブラックカルダモン」と8種類が渾然一体となっているので、クセのある香りはしませんが、裏の説明文には、「Mittal's Masara Teaは、伝統的なレシピに基づいて、アッサム茶とケララ地方のエキゾチックハーブをブレンドしたお茶です。」とあって、ちょっと上品な感じもあります。

 右側のお茶は、スパイスの表示はなく、単に「Selected Spices」とだけ表示してあります。パッケージの表面にはカップのイラスト、裏はポットのイラストがあるので、海外向けのようでもありますね。
 どちらも、4gを使ってチャイを作ってみたんですが、いつも僕が作っているチャイの濃さにはなりませんでしたので、あっさり目のチャイを飲みたい時には、ちょうどいいような気がします。

 さて、最近は、毎日違うレシピのチャイを作って、今後の僕のチャイの向かうべき道を探ったりしています。
 で、今日は、イギリスのPG Tipsのティーバッグを捌いて鍋に入れ、以前使っていた生姜の粒と、菊池さんからもらった「マサラ(sweet)」に入っていたシナモンブロックだけを取り出して、マサラチャイを作ってみました。以下はそのレシピです。

PG Tips 3g
シナモンブロック 1.5g
ジンジャーブロック(crush) 1.5g
130cc
牛乳(乳脂肪3.5%以上) 100cc
三温糖 6g

今回は、生姜のパンチの効いたチャイが飲みたかったので1.5g使ったんですが、茶葉3gに対してスパイスの合計:3gは若干多いかなとは思いましたが、けっこう生姜のピリ辛が効いて美味しかったですね。それに、改めて思うんですが、PG Tipはマサラチャイにするとけっこうコクもあり、3gで十分美味しく飲めます。今まで使ってきた茶葉で、僕の「神原チャイ」以外なら、菊池さんからいただいたCTCの茶葉(細かい粒の方)とこのPG Tipsが最近のお気に入りです。

 PG Tipsはネットで買えますが、ちょっと注意が必要です。日本用にアレンジしたものは、ティーバッグの内容量が少ない物があります。それとか、「PG Tips STRONG」は味が違うので買う時は「ORIGINAL」と書いてあるものを買ってください。


 

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