[ 神原通信 ]
2019年4月1日(月) <『昼寝タピオカツンドラ』> Apple Musicから拾った曲で、またまた昼寝用のBGMを作ってみました。今日のお昼にテストしてみましたが、時間もバッチリで良く眠れました。(笑)
8曲26分 余談ですが、「与作」について・・・ 「「与作」(よさく)は、1978年3月25日に発表された日本の歌謡曲。北島三郎や千昌夫などの歌手によるシングルが発売されている。」(ウィキ) 1978年といえば、僕がまだ印刷会社の営業をしていた頃。得意先の会社まで営業車で出かけたんだけど、約束の時間に少し余裕があったので、車で待機していた時、ラジオから北島三郎が歌うこの曲が流れて来て、衝撃を受けた。「なぜこんな曲を北島三郎が歌っているんだろう。」と。歌謡曲(演歌)らしからぬ題材。「よさくはきぃ〜をきる〜、トントント〜ン、トントント〜ン」。僕は車の中で凍り付いた。世間の人も同じだったらしく、オリコンチャート25位まで到達している。 「七澤公典が作詞・作曲し、NHKの音楽番組『あなたのメロディー』に応募した作品である。七澤は1976年、ジャズギタリストを目指して渡米したが、日本人が本当のジャズ奏者になるのは無理だと悟り、帰国したところであった。渡米の反動から、日本的なものを志向して作ったのが「与作」である。「与作」は一度は却下されたが、改良を重ねて再提出され、番組では弦哲也が歌唱し、年間最優秀作品に選ばれた。弦の他に北島三郎、千昌夫らがシングルを発表。原曲に少しアレンジを加えた北島のバージョンが最もヒットした。競作で発売されたレコードの累計売上は60万枚に達した。」 YouTubeには、弦哲也版「与作」がある。(北島三郎は無し)
2019年3月29日(金) <モンキーズの真実:その2> 今回は、Wikipediaの日本語版と英語版の解説および4枚組ベスト盤「MUSIC BOX」(2001)の解説を元に、ザ・モンキーズのオリジナル・アルバムを年代順に並べてみたのと、どういう経緯でモンキーズが出来たのかを探ってみました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1964年、イギリスとアメリカ国内におけるビートルズの過熱ぶりを目の当たりにしたレイバート・プロダクション(バート・シュナイダーとボブ・ラフェルソンの二人)は、アメリカ国内でもスターグループを生み出そうと、ビートルズ主演の『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』をヒントに同様のテレビ番組を制作することを思いつく。 パイロット番組の音楽を担当させられたのは、スクリーン・ジェムズの音楽部門:スクリーン・ジェムズ音楽出版に所属していたソングライターチーム、トミー・ボイスとボビー・ハート(以後ボイス&ハート)。番組は「ザ・モンキーズ(ショー)」と名付けられてはいたが、オーディションと撮影と音楽は同時進行で行われていた為、パイロット版では、彼等が歌を歌っていた。(ちなみに、「モンキーズのテーマ」として作られた曲は、デイブ・クラーク・ファイブの「若さをつかもう」という曲に影響されたそうです。) 1966年1月、パイロット版は好評とは言い難かったが、成功の可能性を感じたNBCは、1966年1月17日、スクリーン・ジェムズ・コロンビアから番組を買った。さらに、レイバート・プロダクションは、モンキーズが番組ですぐれたサウンドトラック(曲)を作れば、成功間違いなしと判断し、半年間を掛けて彼等に演奏させるもうまくは行かず、最終的には、スクリーン・ジェムズ音楽出版に楽曲と演奏を準備してもらい、番組の映像と合体させるという方法を考え出した。ただし、それには条件があり、モンキーズのメンバーは、リード・ボーカルの収録以外はレコーディングに参加する事を厳しく禁じられていた。なぜなら、当時の楽曲の作り方は、まずバック・トラックをつくり、それにボーカルを乗せるのが一般的だったから。 スクリーン・ジェムズ音楽出版の当時の社長:ドン・カーシュナーはいち早く、売れるロックン・ロールの楽曲を書けるソングライター達を集め、有名なシンガーにその曲を買ってもらうことで成功を納めた人物。 1966年8月、紆余曲折の末、デビュー曲「恋の終列車(Last Train to Clarksville)」をリリース。
2枚目のアルバムが出た頃から制作者サイドとメンバー間の軋轢が目立つようになる。当初、2作目以降はメンバー自身もアルバム制作に関われるという話であったが、モンキーズの音楽部門の責任者であるドン・カーシュナーはこれを一切認めず、ファーストアルバムまでの時点に収録が終わっていながら未発表になっていた自身の音楽出版社所属の楽曲を使用し、スタジオミュージシャンのバッキングトラックにボーカルを乗せた音源を使用して制作したアルバムをメンバーの知らないうちに発売した。 さらにカーシュナーは、ニール・ダイアモンドの提供曲『恋はちょっぴり (A Little Bit me, A little Bit you)』を3枚目のシングルとして発売することにしていたが、B面に使用する曲を当初予定していたマイク作詞・作曲の「どこかで知った娘 (The girl I knew somewhere)」ではなくジェフ・バリー(Jeff Barry)の手による「シー・ハングズ・アウト (She hangs out)」に無断で差し替えて発表する。この暴挙にマイクが激怒し、当初予定通りの「恋はちょっぴり/どこかで知った娘」のシングル盤を独自に制作。「これこそが本物のサード・シングルだ」として記者会見を開き、マスメディアを巻き込んだクーデターを決行し、カーシュナーを追い出したマイクは、代わりに当時「ハッピー・トゥギャザー」のヒットを飛ばしたタートルズのチップ・ダグラスをプロデューサーに迎えて3作目をリリースした。
このアルバムには、自分たちの選曲した曲と自作曲が収録された。演奏もホーン・セクションを除いてはすべて自分自身で行なわれたこのアルバムは、テクニックが稚拙なためにガレージパンクのような荒さがあり、レコーディング中のお遊びなども収められた。当時の4人の等身大を表現する作品に仕上がったものの、売り上げは前作を若干下回る(なお、このアルバムの次にチャート・トップに立ったのは『サージェント・ペパー』である)。その後、撮影、レコーディング、ツアーなどの時間的な制約から、演奏はスタジオミュージシャンを使用する方式に戻った。
1968年3月に、TVシリーズが終了するとともに、モンキーズの人気も下降し、「小鳥と蜂とモンキーズ」の売り上げは「スター・コレクター」に及ばなかった。 1968年2月から5月にかけては、映画『HEAD』の撮影が行われた。「これまでに作り上げたアイドルとしてのモンキーズをぶち壊す」というボブ・ラフェルソンの意図により、出来上がった作品は細切れのシーンをつなげたパッチワークのような難解な作品となり、同年11月に公開されたものの興行的には失敗に終わる。この作品の脚本はジャック・ニコルソンが手がけ、デニス・ホッパーが出演している。
1968年9〜10月 太平洋ツアー 太平洋ツアーの後、1968年11月に放送されたNBCのスペシャル番組『33 1/3レボリューションズ・パー・モンキー』の出演後、ピーター・トークがグループを脱退。その後、モンキーズは3人で活動を行う。
この後、マイク・ネスミスは莫大な違約金を払ってモンキーズを脱退し、ファースト・ナショナル・バンドを結成してソロ活動へと移る。
同アルバム発表と時期をほぼ同じくして、モンキーズは解散した。 1975年、最後まで残ったモンキーズのメンバーであったミッキー・ドレンツとデイヴィー・ジョーンズ、作曲家チームであったボイス&ハートが加わり「ドレンツ・ジョーンズ・ボイス&ハート」を結成する(日本では「ニューモンキーズ」として紹介された)。 1986年、MTVでの『ザ・モンキーズ・ショー』再放送をきっかけにアメリカでリバイバルブームが起こる。
1987年「Missing Links (album)」発売(未発表曲やバージョン違いを収録) 1990年「Missing Links 2(album)」発売 1996年、結成30周年を祝って、マイク、デイヴィー、ミッキー、ピーターの4人が揃ってスタジオに入る。
2011年、結成45周年を記念して再結成 2012年、デイヴィー・ジョーンズ死去 2016年、結成50周年を記念してアルバムをリリース。
2019.2月、 ピーター・トーク死去 (つづく)
2019年3月25日(月) <『夢のない男』> Apple MUSICで、音楽を「見つける」のが習慣になってしまっています。メールをチェックして返事を書くと、すぐにiTunesを立ち上げます。今は「ザ・モンキーズ」で検索を掛けることが多いです。彼らの全てのアルバムには一応目を通しましたし、今はボーナス・トラックを聴いたり、ソングライターは誰かな?と探すのが趣味になっています。「コレクター」とはそうしたもんです。(笑) で、今日はその中から『夢のない男』を選んでみました。この曲、聴く前は「どんな曲なんだろう?しょぼくれたおっさん(僕か?)の歌かなとか思いましたが、そうではなくて「君がいなくなって夢をもてなくなったから、帰ってきてくれ」とかっていう情けない男の歌でした。 モンキーズ版「夢のない男(A Man Without a Dream)」 作ったのはゴフィン&キング。あのビートルズが憧れたソングライターコンビです。イントロがどこか聴いたことがあるメロディだなあと思ったら、思い出しました。ウォーカー・ブラザーズの「People Get Ready」です。R&Bですね。渋いです。同じじゃないけど。 ウォーカーブラザーズ版「People Get Rerady」(この曲はインプレッションズのカバー) なぜ、この曲を選んだんだろうと思って調べてみたら、この曲は「涙の街角(1969)」というシングル盤のB面として選ばれ、この曲をプロデュースしたのが、ボーンズ・ハウという人で、彼はタートルズ、アソシエーション、そして、フィフス・ディメンションなどをプロデュースしたそうで、インタビューによれば「当時は、メンバーがバラバラに曲を作っていて、その中のひとり、デイヴィー・ジョーンズをプロデュースする誰かを探していて僕に辿り着いたわけだ。僕はたくさんの曲をチャートに送ったから、それが何か関係していたんだろうけど、その時期にやってたことと同じようにやっただけ。」と素っ気ない。 しかし、この曲はモンキーズ用に作られたわけではなくて、ライチャス・ブラザーズのカバー曲なんですね。だから、こんなに男っぽい曲調なんだと納得。 ライチャス・ブラザーズ版「夢のない男」(日本語の題名が悪いんだな、これ) さて、最後はこの曲を作った本人がやってたトリオ「The City」のアルバムからどうぞ。 これもいいなあ。 ついでに、ハル・ブレインのドラムをフューチャーしたバージョンをどうぞ。 モンキーズ版「夢のない男(A Man Without a Dream)」Alternate Take-14
2019年3月24日(日) <『プレザント・バレー・サンデイ』・・モンキーズの真実:その1> 先月、「ザ・モンキーズのメンバー、ピーター・トークが77歳で亡くなった」という記事を読んで軽いショックを覚えました。僕は彼等のTV番組を良く観ていたからです。それほどメンバーに思い入れはなかったんですが、「ピーターってどういう人だったんだろう?」という興味が湧いてきて、色々と調べていくうちに、「ザ・モンキーズって、こんなにもすごいグループだったんだ。」という壮大な物語に出くわしたのです。 なぜ「壮大な物語」なのかというと、モンキーズはTV番組から登場したアイドルグループではあるんですが、彼等に関わった音楽&映画業界の(僕の関心のある)有名人があまりにも多く、さらにメンバー4人のキャラクターも濃くて、調べれば調べるほど、人間関係が複雑に絡み合っていて、尚かつ、音楽的にも様々な要素の詰まったものが多く、「一度彼等の辿った道のりをまとめてみよう」ということになりました。 まずは、彼等がどういったグループだったのかを、ネットで拾った当時の情報を元に紹介してみようと思います。下は、1967年7月に発売されたシングル盤の解説なのですが、すごく分かりやすいので、これを書き起こしてみたのが、下の文章です。 「 Words / ( Boyce - Hart ) Pleasant Vally Sunday ( Goffin - King ) 第二のビートルズとして期待され、成長しているモンキーズの新曲をお届けしましょう。 ●ビートルズの最新曲と同時につい先日アメリカで発売されたのが、ご紹介する「Words」と「Pleasant Vally Sunday」です。 さて、そんな騒ぎとは別に、夏休みに入るとモンキーズはイギリスに向かいます。彼等にとって初のロンドン公演、前人気も上々、ロンドン子を熱狂させる素晴らしいステージが期待されます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 注1:「本格的」だったのは録音された曲だけで、彼等は演奏には一切関わっていない。というか、関わる事を許されていなかったのです。それに、ミッキーとデイヴィーは楽器ができなかったという悲しい事実。 注2:「Alternate Title」という名前の曲は知らなかったので探してみたら、なんと曲自体は知っていました。「Rnady Scouse Git」という題名をイギリス向けに代えたみたいです。どういう事情だったかはウィキに書いてあるんですが、英語なのでよく分かりません。「別のタイトル」とはどういう意味? 注3:アメリカでは2シーズンあったようですが、日本ではTBS系列で1967年(昭和42年)10月から1969年(昭和44年)1月にかけて放送された30分番組。ということは、つまり、この曲は放送前に発売されていたことになります。 注4:デイヴィー・ジョーンズの本名は「デヴィッド・ジョーンズ」で、デヴィッド・ボウイも本名が同じなので、混同しないように「デイヴィー・ジョーンズ」に変えたそうです。 注5:1968年9月から10月にかけて、太平洋ツアーを公演。9月にはオーストラリアで7公演を務めた後、来日した。羽田空港にはファンの少女らが殺到し大騒ぎとなる。同年10月3・4日に日本武道館で、10月5日に京都会館で、10月7・8日に大阪フェスティバルホールでそれぞれ公演した。 注6:デイヴィーがリーダーだったとは初耳です。どの記事を読んでも、だれがリーダーをしていたかは不明。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、話は長くなりますが、このシングルに収録された「プレザント・バレー・サンデイ」の歌詞、最初に僕が目にしたとき、何を言っているのか皆目検討がつかなかったんですが、これもネットに詳しい情報があったので、再録してみます。 <歌詞と和訳> The local rock group down the street is trying hard to learn their song Another Pleasant Valley Sunday See Mrs. Gray she's proud today because her roses are in bloom Another Pleasant Valley Sunday Creature comfort goals Ta Ta Ta... Another Pleasant Valley Sunday Another Pleasant Valley Sunday... <解説> 作詞作曲をキャロル・キングとジェリー・ゴフィンが担当しています。歌の内容はごく普通の住宅街でのいつもの日曜日といった感じですが、そんな退屈な毎日から抜け出したいという歌い手の苦悩が歌詞に差し込まれています。最後のまどろみの中に吸い込まれていくような演奏が、主人公の現実逃避を表現しているのではないでしょうか。 Another Pleasant Valley Sunday…… Charcoal ……炭、木炭 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ では、ここで、曲の方を紹介しておきます。 モンキーズ版「Pleasant Valley Sunday」 (演奏シーン付き) ミッキーのドラムが曲と全然合ってない、というか、合わそうともしてない。 キャロル・キング版「Pleasant Valley Sunday」 この曲ではないですが、ゴフィン&キングがプロデュースした作品は、モンキーズに歌い方のデモとバッキングの完璧な演奏まで渡したそうです。「この通りにやってね」と。 1967年、僕は13歳で中学2年生でした。この「Pleasant Valley Sunday」の歌詞カードの載っている、当時の音楽雑誌の付録を持っています。その付録は、とある本屋のおじさんと仲良くなった時にもらったものです。(つづく)
2019年3月22日(金) <インド土産のマサラチャイ> 先日の「チャイレッスン&チャイカフェ』でサモサを作ってくれた八田さんから、デリーへ行った際のお土産で、2種類のマサラチャイをいただきました。
で、早速飲んでみたんですが、渋みもエグ味もなく、普通に美味しかったです。茶葉に比してスパイスがそれほど大量に入っているわけではないので、あっさり目に出来上がるので「ポットティーで飲めますよ。」という八田さんのお言葉通り、ミルクティーでもいけました。 左側のスパイスは「ジンジャー、グリーン・カルダモン、シナモン、ローズ・ペタル、アニスシード、クローブ、ブラックペッパー、ブラックカルダモン」と8種類が渾然一体となっているので、クセのある香りはしませんが、裏の説明文には、「Mittal's Masara Teaは、伝統的なレシピに基づいて、アッサム茶とケララ地方のエキゾチックハーブをブレンドしたお茶です。」とあって、ちょっと上品な感じもあります。 右側のお茶は、スパイスの表示はなく、単に「Selected Spices」とだけ表示してあります。パッケージの表面にはカップのイラスト、裏はポットのイラストがあるので、海外向けのようでもありますね。 さて、最近は、毎日違うレシピのチャイを作って、今後の僕のチャイの向かうべき道を探ったりしています。
今回は、生姜のパンチの効いたチャイが飲みたかったので1.5g使ったんですが、茶葉3gに対してスパイスの合計:3gは若干多いかなとは思いましたが、けっこう生姜のピリ辛が効いて美味しかったですね。それに、改めて思うんですが、PG Tipはマサラチャイにするとけっこうコクもあり、3gで十分美味しく飲めます。今まで使ってきた茶葉で、僕の「神原チャイ」以外なら、菊池さんからいただいたCTCの茶葉(細かい粒の方)とこのPG Tipsが最近のお気に入りです。 PG Tipsはネットで買えますが、ちょっと注意が必要です。日本用にアレンジしたものは、ティーバッグの内容量が少ない物があります。それとか、「PG Tips STRONG」は味が違うので買う時は「ORIGINAL」と書いてあるものを買ってください。
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