できるまで

第二章:カンテでの楽しかった日々

その02:「かきあつめ」南伸坊イラスト集 綺譚社 1984

南伸坊

ヴィシュナート

カンテに入ってから、少しずつ僕の中で変化が起こってきました。
 今まで、西洋文化一辺倒だったのに、少しずつアジアのことが気になりだしたのです。オーナーの井上さんも、カンテを始めた頃は、アジアには関心がなかったようですが、紅茶を扱うようになってまずイギリスの紅茶のことを知り、その後、生産地インド、ネパール、スリランカへと興味が移っていったそうです。
 カンテは1972年創業ですから、僕が入った1980年までの8年の間にどっぷりとインドにハマっていったようですね。
 後に、井上さんはカンテのニュースペーパー「カンテ茶新聞」で、ウルフルズに触れてこう書いています。
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 「チャイを作り始めて気がつけば30年以上経ってしまいました。
 今は大阪では当たり前の飲み物になっていますが、カンテをopenした時には、チャイなんて全く知らなかったし、まさかチャイがカンテにこれほど大きく影響を与え続けるとは驚き桃の木です。
 カンテを始めて間もなく、紅茶の故郷インドへ行って、あまりの文化の違いにびっくり。すっかり魅力にとりつかれて、カンテはだんだんインド化していきました。
 何度もインドへ行く内にベナレスという街が特に気に入って、ガンジス河の沐浴場でボートに乗って遊ぶのが大好きになりました。
ヴィシュナートというボート漕ぎの(今では故人になりましたが)忘れられない友達ができたのもこの街でした。カンテのチャイは、この街のとあるチャイ屋さんの味なのであります。
 ヴィシュナートに連れて行かれたこのチャイ屋さんはおいしかったです。
以後、カンテはこのチャイの味にできるだけ似せて作っています。
トータス松本のチャイの作り方もこのベナレスのチャイ屋さんと同じであります。
(松本くん達がカンテにいた頃、ビシュナートはウルフルズの最初期の十三ファンダンゴでのコンサートを体験しています。)
 カンテは結局、チャイのあるインドの風景みたいなことをやって来たのだと思います。もしカンテがチャイをやってなくて、インドに影響された雰囲気の店でなかったら、松本くんや黒田君や岩本くんはカンテでアルバイトしていなかったかもしれないし、Mr.サンコンもカンテに遊びに来てなかったかもしれません。(きっと来てなかったでしょう。)そしたら、ウルフルズもなかったかもしれないのです。
チャイがウルフルズを作ったと言ったら言い過ぎでしょうか。」
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僕も偶然の出会いとはいえ、カンテが今まで見た事がないような喫茶店でなかったら、井上さんという人間がいなかったら、カンテには長居しなかったでしょう。

 今回の写真は、南伸坊のイラスト集「かきあつめ」。
カンテに入って2年目(1982年)の時に、ネパールツアー募集のチラシを作らされたんですが、資料を探したら、「ヤングコミック」に南伸坊のネパール旅行の記事があったので、イラストも含めてコピー&コラージュして、レイアウトしたことがありました。(やってはいけないですけど。)
 伸坊さんのその絵は、後にイラスト集「かきあつめ(いつか何かの役に立つ)」に収録されました。
写真のインド人は、今は無きボート漕ぎのヴィシュナート。

 

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