できるまで

第二章:カンテでの楽しかった日々

その4:月刊「プレイガイドジャーナル」1982年12月号

プガジャ

 カンテに入って2年目(1982年)の春、正社員がひとり辞めたので、僕がその後任となりました。
 仕事の内容も喫茶だけでなく、紅茶の卸とアパレル部門「NP」の管理を任されることになり、その年の後半には、アメリカ旅行で知り合った人との結婚を考えるようにもなり、翌1983年1月結婚。
 住居も吹田市から大阪市北区に引っ越し、シフトは、結婚した当初は2時〜10時の遅番もありましたが、1985年頃には12時〜8時で定着。仕事場も「NP」と紅茶の作業場の2ヶ所になり、喫茶の方は緊急時以外は入らなくなりました。
 独身時代に興味のあった趣味はというと、時代と共に世代交代することになりました。

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・音楽・・・ロックは1970年代後半に出現したパンクの影響で「ロックは死んだ」と宣言され、僕が聴き続けて来たイーグルスは1980年に活動停止。交代に、イギリス人ピーター・ガブリエルは、1980年からアルバムに民族音楽を導入し、1982年には「ウォーマッド」と呼ばれるワールド・ミュージックを主宰し、普及に貢献した。
日本では、大滝詠一が1981年に彼の集大成とも言われる「ロング・バケイション」が発売されるも、1985年には早々と新譜は作らないと自ら宣言。こちらも交代に、キングレコードから、世界の民族音楽シリーズが次々と発表され、カンテでもアメリカのノンサッチ・レーベルのレコードとともにBGMに使用し始めて、僕の興味を惹きました。

・まんが・・・当時好きだった大友克洋は1980年に「童夢」を発表。1982年には「アキラ」を連載するも、僕の期待とは別の方向へシフトし、以後興味を失った。僕は結婚を機に「めぞん一刻」へ移行。

・映画・・・夫婦で観る映画に限定したため、映画ファンとは言い難い鑑賞態度に転身。メジャーな映画しか観なくなった。

・プラモデル・・・半年ほど、イヤな事を忘れるためにプラモデルを作っていた期間もありますが、基本的には(老後のために)「買うだけ」に移行。

・本・・・1982年の「羊をめぐる冒険」以後、面白かった小説はジョン・アービングの「ガープの世界」とカート・ボネガット・ジュニアの「ジェイルバード」ぐらいかな。それぐらいしか小説を読んでいない。その代わりに、紅茶の本や中国茶の本を買い込んだけど、1980年代に買った本で僕の本棚で生き残っていないのは、それほど面白い本はなかったということでしょうね。

・上の「プレイガイド・ジャーナル」は、サイズを変更する直前の号で、「買わないと後悔するヨ」と書かれていたので買いました。表紙の文章は村上春樹。

 この雑誌、「『日本で最初の情報誌』と言われ、その独特の誌面や主催イベントなどは、1970年代 - 1980年代の関西のサブカルチャーに大きな影響を与えた。(Wikipedia)」ということで、僕も大変お世話になりました。上映会の広告もさせてもらったし、アメリカツアー「夏の陣(1980)」にも参加しましたし、無料の映画チケットも頂きましたし、「SUB」というアンダーグラウンド雑誌も事務所で買わせていただきました。
 東京の「ぴあ」が関西に上陸した頃から経営が怪しくなり、1987年に休刊したそうです。
「時代は変わる=The Times They Are a-Changin」のです。

 

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