できるまで

第一章:カンテ以前

その9:映画が教えてくれた人生哲学

 スクリーンライフ

 僕には弟がひとりいますが、7歳まで一人っ子として育てられ、さらに、僕が生まれる前に1歳ほどで姉が亡くなったこともあって、かなり大事に扱われていたせいか、時々わがままで我の強いところが出たりします。

 小学校の低学年の頃は、近所の子供と楽しく外で遊んでいた僕も、高学年や中学年になる頃にはひとりで漫画を読んだり、ひとりでTVを観る事が多くなり、同級生が遊びに来ても「今は遊びたくないから帰って。」とひどいことを言ったことを覚えています。弟とも歳が離れていた事もあり、一緒に遊ぶということもなく、ひとりが好きな子供になっていったようです。それに、両親が仕事に出かけていたこともあって、土曜日とかのお昼に時々やっていた古い映画を観て、ひとりで感動したり面白がっていたりしました。(かといって友達が少なかったというわけでもありません。)

その頃観た映画の中で今でも覚えているのが「ウンベルトD」と「春の珍事」。

「ウンベルトD」は、第二次大戦後のイタリアが舞台で、年金暮らしのじいさんが戦後の混乱の中で生きる気力を無くし、最後には列車に愛犬とともに飛び込もうとした瞬間、嫌がった愛犬が彼の腕を振り切って逃げ出し、それを追いかけるじいさんの後ろ姿で映画が終わるという絶望的な映画で、子供ながらにひとりで泣きました。

 それとは真逆の映画が「春の珍事」。ある化学者が、全てのものに反発する液体を発明。例えばこの液体を櫛につけると、髪の毛を櫛で撫で付けようとするのに逆に逆立ってしまうというもので、これを応用して野球のピッッチャーが相手方のバットにこれを塗ると、どんな玉でも絶対に打たれない名投手が誕生してしまうというコメディー映画でした。(最後がどうなったのかは覚えていませんが。)

 この2本の映画が象徴するかのように、僕は「夢(妄想)」と「絶望」を映画から教えられました。
 諺で「期待は失望の母である」という言葉がありますね。これは自分に対する戒めの言葉ですね。「あまり、はしゃぎすぎるな」という戒めです。「思いっきり期待しても、現実には絶望が待っている」と考えていた方が、ショックの度合いが少ないという、生活の知恵です。(かつて大滝詠一がこのことを歌にしてたのを聴いた時にはある種のシンパシーを感じました。)

 話は変わりますが、1968年(昭和43年)に「少年ジャンプ」が創刊した頃、漫画は「借りずに自分で買う」ことが習慣となり、そのため貸本屋は次々と廃業。僕はと言えば、高校受験を目指していた事もあり漫画は少しずつ読まなくなり、プラモデルも作らなくなっていました。
 その代わりに、高校入学とともに、映画館に自由に行く事ができるようになり(今はどうなのか知りませんが、昔は高校まで校則で自由に映画を観に行く事ができなかった)、同時にご褒美に買ってもらった13インチのカラーテレビで、毎日映画を見る事が趣味になりました。

 当時TVでは、日曜洋画劇場(テレ朝)、月曜ロードショー(TBS)、水曜ロードショー(日テレ)、金曜ゴールデン映画劇場(フジ)、深夜には毎日どこかで各局映画枠があったので、凝り性の僕は毎日勉強もせず、映画ばかり観ていました。
 それに高校からの帰り道に二番館(新作ではなく旧作のみを上映する映画館)があって、3本¥200で観られたので、暇があったら映画館に入り浸っている始末。
 それに加えて、毎月「スクリーン」という映画雑誌を読んでいた事もあり、その当時の映画(1950〜1970年代)にはめっぽう詳しくなりました。監督、脚本家、撮影者、音楽家、特にハリウッド関係には詳しいです。
 写真の「外国映画年鑑」は、当時、かなりの人が持っていたと思われますが、今ではほとんど無用の長物と化していて、もうじき捨てようかとも思っています。
 映画の事を調べたければ「Wikipedia」や「Amazonビデオ」のページがありますからね。
 隣の「LIFE GOES TO THE MOVIES」は、米「ライフ誌」とハリウッドの蜜月関係によって出来たような本で、映画の裏側がたっぷりと楽しめる豪華本です。

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