できるまで

第一章:カンテ以前

その11:夢の雑誌 月刊「ワンダーランド」と夢に終わった「宝島」

 ワンダーランド表紙

ワンダーランド中身

ローリングストーン

 大阪に出て来た僕が、三畳一間の部屋を借りたのが学校から歩いて5分ほどの学生下宿で、名神高速沿いにあった。ここは都会でも町でもなく、どちらかというと田舎に近い環境で、住んでいるのは地元の人か地方から来た若者だけ。だから、今治から出て来た僕には居心地のいい場所でした。その上、運のいいことに、大学の入学説明会で受けた特権がひとつありました。

 社会学部の大教室に集められた学生たちに配られた紙の中に、電車の定期券購入申し込み用紙があったのです。
 もちろんこれは、遠くに住んでる学生に対してのみ購入が許されるもので、僕のように学校の近くに住んでる人間にはその資格はないはずなのですが、「もしかしたら、どさくさに紛れて購入できるかもしれない」と思い、申し込み用紙に「梅田から関大前 一ヶ月間」と書いて提出したら、なんと後日許可証が届き、それを定期券売り場に持って行くと買えたのです、学割の定期券が。金額は通常の半分だったと思います。神様っているんですよね。それ以後、3ヶ月定期や6ヶ月定期を継続で買い続け、卒業するまでの4年間、梅田は僕の庭状態でした。

 定期券をいつも財布の中に入れておき、毎日、用事もないのに梅田まで出て、まず紀伊国屋書店に寄ります。そこで本や雑誌を立ち読みするのが日課でした。今治で育った情報不足男にとって、紀伊国屋書店は無料の「ディズニーランド」みたいなもので、全く飽きる事がありませんでした。
 そんな頃、創刊したのが「ワンダーランド」という雑誌です。

「植草甚一責任編集の名の下、当初、アメリカの『ローリング・ストーン』のライセンス雑誌として企画されながら頓挫。創刊号、第二号を『ワンダーランド』というタイトルで、第三号から『宝島』へと名を変え、以後形を変えながら2015年まで続いた伝説の出発点。大判中綴じの判型、四段組みの新聞活字、平野甲賀のアートディレクション。」(Wikipedia)

 この雑誌を見たときの感想はというと、「夢の雑誌が出た!」と思ったほど。
 執筆陣は年代が上すぎて僕にはそれほど興味のない人達ばかりでしたが、デザインが最高でした。 大判中綴じの判型というのがでかくていいし、四段組みの新聞活字も読みやすく、発売所が晶文社なので平野甲賀のなじみのあるデザインや羽良多平吉のイラストや「NEW MUSIC MAGAZINE」でおなじみの僕の大好きな100%スタジオ(河村要助、矢吹伸彦、湯村輝彦)のイラストがカッコよくレイアウトされていたのです。
 後に、アメリカの『ローリング・ストーン』誌を買い求めた時の感動に似た感触がありましたね。(写真のものは古過ぎるので僕のじゃないけど、これが初期のもの。正に、新聞です。)
でも、夢は夢。段々と内容が僕から離れて行き、4号目以降3年間ぐらいは惰性で買ってしまった感がありましたが、内容はそれほど面白いものがなく、大きさも単行本のように小さくなって「殻を破る」ほどの勢いは見られませんでした。だから後年、すべて売り払ってしまいました。残ったのは、この3冊のみ。長年手荒に扱ったせいで、表紙はボロボロになり本体から外れてしまったけど、この3冊は捨てないんだろうなあ。

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