できるまで

第一章:カンテ以前

その13:「初国知所之天皇」という名の8ミリ映画

原将人

原将人2

写真を並べてしまいましたが、原さん、すみません。

 1973年に「初国知所之天皇(はつくにしらすめらみこと)」というタイトルの8ミリ映画が上映され評判になり、翌年、僕も映画サークルの先輩に連れられて、京都のギャラリーまで観に行ったことがあります。うろ覚えなので間違っているかもしれないですが、だいたい次のような上映会でした。

 ギャラリーには椅子がなく、敷物が敷かれ、観客は靴を脱いで部屋に入り床に座って映画を見るというスタイルでした。
 夜10時ごろから始まり、翌日の6時ごろ終わる、つまり、上映時間が8時間もあったのです。
 映画は8ミリで撮られており、ストーリーはなく、手持ちの8ミリカメラで移動しながら風景を撮ったフィルムをスローモーション映写し、日記風のナレーションと作家の歌が繰り返し流れるというものでした。
 10時始まりということは、観客は2時間もすると眠くなって来るわけです。僕もその1人だけど。そうすると床に寝転がって延々と続く8ミリ映像を見つめながら寝てしまうわけですね。時々、眼が覚めてまた映画を観て、また寝てしまうという事の繰り返しで、翌朝、上映が終わった後、どういう感想を述べたらいいものか考え込んでしまうという映画でした。

 この映画を作ったのが「原正孝(将人)」という人で、「映画の肉体論」を広めた人でもあります。「映画はそれ自体が映画であり、光と影の織りなす映像が映画のすべてである。」みたいな感じ。
分かったような分からない説明ですが、これを自分なりに解釈しようと、全国の映画好きがこぞって8ミリ映画を制作し始めたのでした。

 僕の所属していた映画サークルでも、1974年に、いきなりみんなが8ミリカメラを買い込んで撮影し始めるという事態になり、僕も彼:原将人さんの薦める「キャノン518SV」という8ミリカメラを中古で3万円で買って、映画作家気取りで、暇さえあればカメラを持って外に出かけ、映像ハンティングをして、それを現像に出し、出来上がって来たら編集をして(フィルムを切ったりつないだりして)1本の映画(シナリオなし、音楽は既存のものを使う)に仕上げていたのです。

  大学を卒業し、会社員になって1年目に、それまで撮り貯めた作品を一挙公開することを考え、タイトルは(ザ・ビーチボーイズの『Endress Summer』をもじって)「終わりなき少年」とし、6本ほどの映画(全部で約2時間)を、大阪梅田の北市民教養ルームというところで上映したことがあります。上の告知は「プレイガイドジャーナル」という月刊誌に3,000円で載せてもらいました。字は、後輩の高田君。観客は身内の10人ほどで、2人ぐらいは全然知らない人が告知を見て来てくれました。僕の代表作『眩しさにさそわれて』から始まるこの映写会、誰かに批評されるわけでもなく、2時間、たっぷりと「神原ワールド」を僕自身が楽しみました。

 撮影する行為はその後も続き作品も何本か作りましたが、一般に公開上映することはその後一度もなく、数年後に撮影する事自体を止めてしまいました。
今は、カメラもなく、映写機もなく、フィルムだけが残っています。

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