できるまで

第一章:カンテ以前

その15:意味不明のミニコミ紙「BOOTLEG」

ブートレグ

BOOTLEGとは「海賊盤」の意味。表紙はオリジナルの絵ですが、本文中に使ったイラストや写真は雑誌のものなどを勝手に使い回していたのでこのタイトルにしました。今なら大問題です。

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 今年(2017)の夏、服部緑地にある本屋「blackbird books」でのトークショーが終わった後、来られたお客さんに「さっき『印刷会社を3年未満で辞めた』と言ってましたけど、なぜですか?」と訊かれました。まさか、そんな質問が来るとは想定外でしたが、質問した方は、現在印刷会社に勤務しているので、何があって辞めたのか知りたかったそうです。

 「いや、まあ、色んな事情が錯綜していましたので、理解してもらえるかどうか分かりませんが、印刷業って基本受注産業ですよね?つまり、クライアントの要望通りに作らないとダメじゃないですか。出来上がった印刷の色とかがサンプルと違っていたら怒られるわけですよ。営業(マン)がこれぐらいならいいだろう、と思っていても。で、結果刷り直したり、マケさせられたり。そういうのが何回も続くと、もうやってらんないと思うわけですね、営業としては。
 それに、僕の場合、会社の上司を見て、あと10年後、20年後にあの人みたいになるんだなあ、とか、自分の将来みたいな人がいたわけですよ。その人がかっこいい人ならいいんだけど、太っててだらしなくて、とか。24歳の僕には、まだ僕の未来は決まってないぞ!とか考えちゃったんですよね。だから、辞めたわけです。印刷が嫌いなわけじゃなくて。」

 質問された方は内勤の方なので営業の悲哀は分からないようでしたが、少しは納得されて帰られたようでした。

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 さて、印刷会社の営業マンになって2年が過ぎた頃(1978年頃)、僕が大阪に出て来た理由は何だったんだろう?と考えた時、「情報不足がいやで都会に出て来た」ことだったのを思い出したのです。「まだ、僕には知らなければいけない事が山ほどある」と。
 じゃあ、どうすればいい?って考えた末に「社内報を作ろう。」と思い立ったのです。会社非公認の社内報(公認してもらうには色んな人を説得しなければならず、面倒だと思ったので)です。これが会社を辞める半年前のことでした。
 社員200人ほどの会社だったので、その中で知り合いになった30人ほどに声をかけて、「社員の役に立つ情報誌」を僕と一緒に作りませんか?と呼びかけてみたら、5,6人が原稿を書いてくれました。紀行文や町の情報や面白記事などで1号目は完成し、50人ぐらいに配ったと思う。B4サイズの四つ折りで、両面モノクロ印刷(紙版のスピード印刷)。費用は5,000円程度だったので定価は100円。すごく高いけど、これはカンパみたいなものでした。

 2号目もなんとか出来たけど、もう原稿を書いてくれる人がいなくなった。仕事が忙しいのに、そんなのに付き合ってらんないというのがその理由でした。そりゃ、そうです。会社を辞める事を(密かに)考えているから出来たことです。そんな人間に付き合ってくれるのは、誰もいないんです、ほんとは。
 3号目を考えている時に会社を辞めちゃったので社内報ではなくなったんだけど、「形を変えてでもこの雑誌は作り続けよう」と(なぜか)思い、大学時代の後輩や先輩に声をかけ、通りすがりのお店の人にアポなしで話しかけたりして集めた情報やコラムなどを散りばめ完成させたのが、B5二つ折り4枚の中とじで、縦長の28ページのミニコミ誌風同人誌(のようなもの)でした。こんなもの誰が買うんだろうと思ったけど、作りたかったんだからしかたがない。僕はいつもこういうやり方をしてしまうから失敗するんですが、「分かっちゃいるけど止められない」のです。

 時は1980年、このあと、僕はこの情報誌のネタ探しで「カンテ・グランデ」と遭遇することになるんだから縁て不思議なもんですね。世の中、成り行き(行き当たりばったり)に任せる事も必要なのです。今書いてる<「チャイの旅」のできるまで>もjこれと同じく、僕の衝動だけでページを増やしているんですが、書きたいんだからしょうがない。書けなくなるまでやろうと思っています。読者はいなくても。

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