02・・・日月譚(にちげつたん)紅茶(ミルクティー用)



缶に『阿薩姆(あっさむ)紅茶』と書いてある。

 阿里山でお茶を購入し、今度は、阿里山を超え台湾では有名な景勝地・日月譚(台湾で一番大きな湖)と埔里(ほり)を経由し、南投県の盧山(ろざん)温泉へ向かう。阿里山からここまではクルマで5時間ほどだが、この道は通ったことがなかったので、山の中を気分よくドライブ。

 日月譚は紅茶が有名だが、これは日本統治時代、日本人がこの地にインド・アッサムの茶樹を植えたことに由来するらしい。ただし、そのアッサム紅茶をさらに押し進め、世界的にも有名にしたのは、当然のことだが、地元の人たちによる。

↑阿里山を超え、玉山(ぎょくざん)に入っていく。玉山はかつてニイタカヤマと呼ばれたところ。

 紅茶のことはあまり考えていなかったのだが、せっかく日月譚を通るのでテキトーに買うべ! と思っていたら、たまたま埔里付近で「紅茶故事館」という紅茶博物館に遭遇したので立ち寄る。
 この博物館の中には、紅茶を製造する過程が再現され、なかなかレトロで良い感じの雰囲気だ。後で調べたら、なんと紅茶の試飲もやっていたらしい。飲めば良かった。

↑『紅茶故事館』 台湾ではときどき、急に洋館風の建物があったりする。

 もちろん、紅茶の販売も行われており、どれにしようかといろいろ選んでいたら、綺麗なお姉さんが一つの缶を差し、「牛女乃推薦!(ミルクティーに!)」という。これは、もしかしてチャイに良いんじゃないかと勝手に思い、神原さん用だけに買ってみた。確か150元(600円)くらいだったと思う。


【2のお茶を飲んでの神原の感想】

★★☆☆☆☆☆☆☆☆

  中国(&台湾)でミルクティーのことは「女乃茶」と言います。「女へん」に「乃」と書いて「ない」と読む。(ネットの日本語にはない文字なので二文字になっていますが、本当は一文字。)


昔の紅茶の専門書に「針金状の茶葉」という表現があったけど、これこそ(黒い)針金ですね。
でも撚りが甘い。

台湾が日本領だった時代に日本人が台湾で紅茶を作ろうとしたのは、外貨獲得を当て込んでいたからですが、残念ながら日本人はその頃、世界にお茶の流通網を持っていなかったし、宣伝(コマーシャル)が下手だったため、結局台湾での紅茶製造は(ビジネス的には)失敗に終わったのでした。その後、この地域は紅茶で有名になったそうですが、僕は全く知りませんでした。

日月譚周辺の地域はインド・アッサム地方に気候風土が似ているために紅茶生産地に選ばれたのですが、やっぱりここはアッサムではないし、イギリス人ほどのミルクティーへのこだわりが台湾の人にはなさそうなので、ズシリと重いアッサム紅茶とは違い、軽〜いアッサム紅茶に仕上がってしまい、茶葉の色はかなり黒いのに、抽出されるお茶の色はほうじ茶より少し濃い程度。それに渋みもない。だから、軽いミルクティーはできるけど、チャイには全く向いていませんでした。白〜いチャイは美味しそうじゃないですからね、やっぱり。

6gをポットに入れて300ccのお湯を注ぎ3分蒸らしても結果は同じでした。なんとも物足りない感じが抜けず、「これを飲まなきゃいられない」という理由が見当たりません。かといって、偽物というわけでは全くなくて、東洋人が紅茶を作ったらこうなったというだけのことです。こういうのが好きな人はいると思います。最近の人は渋みを好まず、ストレートで飲める紅茶を探してますからね。静岡の人が日本茶用の茶葉で紅茶を作っていて、新しい味、新しい客層を模索している。そういう風に理解すれば、これもアリなのです。ま、僕には必要ないというだけのことです。(冷たい!)

【Aのお茶を飲んでの松田の感想】

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(飲んでない)

この紅茶は神原さん用に買い、僕用のは買っていない。ただ、勧めてくれたお姉さんが美人だったので、味も美人なんじゃないかと勝手に思っている。








まつだ・よしひと●1971年・東京生まれ。編集者、ライター、デザイナー。ハタチの頃、トータス松本氏に神原さんを紹介してもらって以来、神原さんに影響を受けながら、何かの折につけアレコレお願いをし今日に至る。著書に「台湾迷路案内〜ガイドブックにあんまり載らない台湾ディープスポット80〜」(オークラ出版)、「らくらく台湾一周旅行」(白夜書房)がある。共著に「日本人_天必_的24小時生活日語」「日語旅遊會話:聽&_自由自在」(ともに台湾・笛藤出版)がある。編集プロダクション・deco(deco-tokyo.com)代表。



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