[ 神原通信 ]
<「チャチャッとチャイ講座」> 「YouTubeの動画を作りましょう。」と言ってくれたのは、市役所の職員で僕の「チャイのワークショップ」を企画してくれた中田さんでした。 中田さんは、僕が2015年、1年半市役所の臨時職員として働いていた部署があった同じ階の人で、あまり市役所の職員然としてなくて、話しかけやすいタイプの人だったし、紅茶が好きだと言っていたので自然と仲良くなった感じでした。でもお互い仕事が忙しかったこともあり、余り話もせず僕は仕事を辞めて、マンションの管理員になってしまい、彼は市役所の出張所である千里文化センターに転属になっていました。 それから5年、中田さんから一通のメールがやってきます。 2022年のハードな「チャイのワークショップ」に疲れていた僕は、「人数を少なくしてくれたらやります。」と返事。これで実現したのが一回目。 まずは動画を撮影。中田さんは撮影も編集も初めてだったので、大丈夫なのかな?とは思ったんだけど、助手の加藤さんとともに考え抜いた演出やカット割りを撮り終え、編集したラフを見せてもらったけど上々の出来でひと安心。 本来は3月末にはネットにアップの予定だったのが、予期せぬトラブルで5月にずれ込み、16日にめでたく公開日を迎えたというのが経緯です。 友人には好評で「YouTuberになったの?」と聞かれたりしますが、そうではなくて「記念」として作ったものです。 さて、次は何をしようかな。
2025年5月2日(金) <「チャイとカンテのよもやま話」結果と付け足し話> どうですか、この笑いっぷり! この日は二人ともこの上なく上機嫌でした。(笑) 4月17日、木曜日という平日にも関わらず、わざわざ豊中の分かりにくい場所にある古民家まで足を運んでくださった人達に感謝します。(道に迷った人約1名) 前もってしゃべる内容を考えてはいましたが、順序立ててしゃべるのが下手なので、行き当たりばったりの話になりましたが、皆さん、僕の話にうなづいてくれたり、聞き耳を立ててくれたりして、僕としては楽しい時間を過ごせましたし、終わった後も余韻を楽しむかのような方が何人かいらして「もっと話を聞きたい」風ではありました。(笑) さて、持ち込んだ資料というのはどういうものかというと、「カンテと神原の関わり年表」と「カンテと神原の栄枯盛衰表」というもので、前者は「僕がカンテと出会う前の社会的背景を拾いだして説明し、その後僕がカンテと出会ってのちどういう風に両者が絡んでいき、どういう経緯でカンテと決別したのかを年表としてまとめたもの」で、後者はそれを「折れ線グラフで表現したもの」です。 文章にするとなんとも大げさな感じですが、実際は僕の個人的な年表の隙間にカンテとその時々の社会情勢を織り込んで、「あの頃カンテと僕はどうだったの?」という事実を書き込んでいったものなので、「カンテ」を知ってる人は笑えるけど、そうじゃない人は・・・という代物ではあります。 今思い返すと、トークショーで話せなかったことがたくさんありました。そりゃそうですよね。僕の歴史は70年、カンテとの関わりも40年近くあるから、それを3時間でしゃべるのは無理というもの。 そんな中から、「特にこれは言っておいた方がいい」ことを書いてみます。 <なぜカンテは流行ったのか> 1)オーナーが資産家だったこと 2)オーナーが美術系でセンスがよかったこと 3)そのセンスを店で活かし、女性たちがそれに憧れを持ったこと 7)ウルフルズがあちこちで宣伝してくれたこと こうして、大阪では知る人ぞ知るお店になったカンテも、栄光は長く続かないのが世の常。 <スターバックス(店舗)の特徴> カンテと被っているようで、被っていない部分もありますね。 時代が求めたカンテが、時代から外されたカンテになったのは、やはり必然なのでしょうね。 まだまだ言い残したことはたくさんあるけど、それはまた次回の「お話会」のお楽しみ。 ところで、写真の方は誰なのか?というと、インスタのアカウント名 do-mo.54166 さん。
2025年3月17日(月) <「チャイとカンテのよもやま話」> チャイのワークショップの相談から転じて僕のトークショーを開催してくれることになった、というお話です。 カンテの元スタッフ:マツリカちゃんが運営している『けせら工房』というのがありまして、彼女と一緒に畑で野菜を作って販売している人が、豊中市中桜塚にある古民家を昨年から5年間の契約で借りて、仲間を集い「商い」をされているんですね。 ある時、チャイの話になったらしく、マツリカちゃんが「そういえば古民家の近くに元カンテのチャイマスターが住んでるから、チャイのワークショップをやってもらったら?」ということで僕のところにメールが来たと、そういうことです。 古民家の場所を聞いて調べたらなんと僕の家から歩いて10分ぐらいのところにあった! 「じゃあ、一度相談しましょうか?」ということで、いつものように「秘密の神原部屋」に来てもらって色々と話をしていくうちに、特に「カンテ」の話が面白かったみたいで、「ワークショップの代わりに、古民家でもっとカンテや神原さんのことをしゃべってくれますか?」と。 「最低でも10人集めてもらわないと僕の日当が出ないので、集められたらやります。」 丁度4月は、その古民家で商いを始めてから1年になるので、それを記念に僕のトークショーを企画してくれたのが今回の催し物というわけですね。 下のちらしは、主催者側の気持ちが伝わるなかなかいい文章です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「昭和100年企画」ということですので、昭和の半分を生きてきた僕の生き様を中心にしゃべってみましょうか。 さて、それはいいんですが、この古民家、実に分かりにくい場所にあるんです! なので、参加者の中には初めてこの場所に来る人もいると思うので、そんな人に分かるように地図を作ってみたのがこちらです。→<古民家nokisaki+の地図> この地図でもたどり着けないかもしれないけど、その場合はGoogleマップで住所を検索して自力でおいでください。 住所は、豊中市中桜塚1丁目11-10 です。 インスタグラム:古民家nokisaki+ テレビ大阪の番組で紹介された時のもの(2025年2月)
2025年3月1日(土) <友達に会う> 二日前、久しぶりに宇高君と会ってきました。 宇高君とは同郷で家が近く、幼稚園が一緒だったので友達になり、小学校と中学校は一緒、高校と大学は別だったけど、ずっと友達でいられる存在であり弟や奥さんと同じぐらい大事な人でもあります。 彼と「ずっと友達でいられる関係」とはどういう関係なのかというと、「相手の事が気になる関係」と言うんでしょうか。同じ背格好で、同じ環境で育ち、同じように田舎を出て、同じように歳を重ねていると、ふと立ち止まり「あいつは今何をやってるんだろう?」と気になりとりあえず連絡してみる。「生きてるか〜」って問いかける。「生きてるよ〜」と答えてくれる。そんな関係。ある意味、自分の分身がどっかで僕と同じように、でも僕とは違う生活を送っているのを時々確かめてみる、そんな関係ですね。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高校を出て僕は大阪の吹田で普通の大学生に、宇高君は富田林の美術系の学校へ。 一度、彼の住処へ行った事がありましたが、晩ご飯にハンバーグを作ってくれることになったんだけど、1時間経っても料理は出て来ず、2時間ぐらい経って、お腹がぺこぺこになった頃やっと食事にありつけた。おいしかった。 ふたりともロックが好きで、彼の方が早くロックに目覚めたので、よくレコードを借りてました。ローリング・ストーンズ、ロッド・スチュアート、レッド・ツェッペリン、スティーライ・スパンなど、彼から教えられたアルバムは数多い。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 前置きが長くなったけど、メールでは3年前に連絡した記録があるけど、会うのは7,8年ぶりかも。 相変わらず、足を引きずるようにひょこひょこ歩く。いつもの笑顔。 ところが、会うなり「食事は近くに『KYK(とんかつ屋)』があるからそこでいい?」「どこでもいいよ。そこへ行こうか。』 陸橋を渡って通りの向こう側へ行き、路地を入るとお店があった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 僕は29歳で結婚してカンテの仕事に没頭している頃、彼は理容店の店先にあるクルクル回る看板を作る会社に入り、仕事の合間に抽象的な造形作品を創作して個展を開くという生活。その後彼も結婚。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 50歳の頃、僕はカンテでギャラリーのブッキング担当をしていたので、「カンテで個展をやってみる?」と声を掛けたこともあります。1週間の個展の合間を縫ってギャラリーでレコードコンサートをやってみた。お客さんは誰も来なかったので2人で、ロックのレコードを掛けまくった。 その後何年かして彼は離婚。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「KYK」で食事をしながら色んな話が飛び出して来た。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 僕は彼のそういう自由奔放さが好きだ。昔から彼は発想が自由だった。 ピンクの戦車!? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 食事が終わり、「キューズモールのフードコートでコーヒー飲もうか。」と僕。 キューズモールもでか過ぎて、入口からフードコートに着くまで5分以上かかったけど、ミスタードーナツでフレンチクルーラーとブラックコーヒーをひとつずつ買って話を続けた。 「これから先どうすんの?」 「田舎には帰らないし、ここで過ごすんだろうなぁ。三重県の志摩市にもう一軒あるけど、あそこは夏は絶対無理、暑過ぎて。」 「自分、エアコン使わないからなぁ。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 彼はiPhoneを持っているけど、ソフトバンクとは解約してる。仕事をしてないから電話する事もないからかな。それは携帯電話じゃなくてネットとメールをするだけ。それもWi-Fiで。昔のiPodのようだな。 奈良の田舎に住んでいて、老人会に入ってるって。1ヶ月1,000円。時々食事会があって、1万円ぐらいの食事が出て来るらしい。そのかわり、近所で困りごとがあると参加して手伝うことが条件。 服は今度結婚する人が同じ背格好なので、借りてきたそうだ。 とりとめのない話をだらだらと3時間ぐらいして、「またね。」と別れた。 帰りの電車の中で思った。 彼の人間性はこどもの頃とちっとも変ってない。 また何年か音信不通なんだろうなぁ。でも、彼はいつまでも僕の友達です。
|
copyright 2025 canbara