カンテ写真部

その2

photo : kanbara



<ハワイ マウイ島 1983>

人生には、「ある時期だけの友人」がいたりします。小学校だけとか大学時代だけとかサラリーマン時代だけとか。そして僕には、1981年から1986年頃までの忘れられない友達(というより恩人かな?)がいます。

僕は1983年の1月18日に結婚式を挙げました。28歳でした。
前回、1980年にターニングポイントを迎えたと書きましたが、仕事ではカンテと、私生活では今の奥さんと知り合ったのがこの年、つまり今の生活の出発点が同時期にやってきたのでした。その2本の線は交わる事はなかったのですが、その2年後、カンテの正社員になったのと時を同じくして結婚を決めました。なんという運命!出来すぎてる!
そしてもっと出来すぎていたのがハワイでの挙式でした。

もともと結婚なんてしないと思っていた僕だったので何の予備知識も前準備もしていなかったのですが、ひょんなことから「結婚」という流れに乗ってしまい、まだ相手の両親にも会っていないのに「結婚式とか新婚旅行とかどうしよう?」と悩んでいた時に、僕の頭に「!」と閃いたのでした。「そうだ!ハワイには鬼塚さんがいる!」と。

その「鬼塚さん」はカンテの社長の友達で、外資系の銀行を辞めてハワイへ移住しようと考えて、その頃社長の家に何日か泊まっていた時、偶然知り合った僕と意気投合したのでした。それが1981年ごろ。
1982年にはハワイで結婚(契約結婚でしたが)をして仕事にも就いたらしいと風の便りに聞いていました。
その鬼塚さんに、(2〜3回しか会った事もないのに)無謀にも手紙を書いたのです。

「鬼塚さん、こんにちは。お元気ですか?
今度、僕は結婚する事になり、二人だけでハワイでこじんまりとした結婚式を挙げたいのですが、そんなことは実現可能でしょうか?挙式は来年の1月頃を予定しています。神原」

しばらくして、祝福の言葉とともに「僕がその結婚式を考えてあげましょう。」という返事がやってきました。
結婚式の日取りから牧師、式を挙げる場所、宿泊する場所、さらにはレンタカーの手配までやってくれるというのです!「え〜っ!」まさかそこまでしてくれるとは思ってもいなかった僕は、うれしいというよりは驚きでした。
そんな「いい人」がこの日本に居たなんて!(実際にはハワイに居たのですが。)

そして1983年の1月15日、大阪フェスティバル・ホール地下の宴会場で友達だけのパーティーをして、その晩はフェティバルホール上階の大阪グランドホテルに泊まり、翌日、伊丹空港からハワイへと旅立ったのでした。

マウイ島での挙式は、上の写真「ハイアットリージェンシーのプール」の横にある小さな中庭で行われました。
そこに、ムームーを着た女性の牧師さんと、鬼塚さんのルームメイトと仕事仲間合わせて5人の参列者を用意してくれたのです。僕はただ言われるままにそこに居て、「I DO.」と言いさえすれば良かったのでした。

鬼塚さんは、式後も僕たちを祝福するパーティーを開いてくれたり、マウイ島を案内してくれたり、本当に感謝、感謝の日々でした。

それから3年ほどが経ち、鬼塚さんから「ハワイを離れてカリフォルニアへ行ってみます。」という便りを最後に音信が途絶えました。カンテの社長にも連絡はありませんでした。

僕のために現れて姿を消した鬼塚さんは、今、どこでどうしているんだろう?

あれから幸せに暮らしている僕からあなたに、どうやってお礼をすればいいんでしょう?








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