カンテ写真部

その5

photo : kanbara



<ハリウッド 1980>

ここは、「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイム(ショービジネス界で活躍した人物の名前が彫られた2000以上の星型のプレートが埋め込んである通りの事)」の一角。特にハリウッド映画が好きなら一度は訪れてみたい、そういう場所です。しかし、僕が行った年が悪かったのか時間が悪かったのか、この有様。ハリウッドのメインストリートに面していたにも関わらず、誰も掃除をする人がいないのか、ゴミが散らかり、捨てられたガムがこびりついていた。

僕が参加した1980年のアメリカツアーは、大阪の「プレイガイドジャーナル社」主催の「アメリカ西海岸ツアー」で、このツアーは1974年から1980年まで「アメリカ夏の陣」として毎年企画されていました。アメリカ建国200年祭の時(1976)には100名近く参加者がいたそうですが、僕が参加した1980年のツアーは、アメリカ人気が下降気味だったため、たったの20名。(なので、僕たちが最後のツアーになりました。)

大学時代の先輩と後輩二人が1978年のこのツアーに参加して、僕に「アメリカはいいとこだ。」としみじみ言うのに影響され、「よし、僕も行くぞ。」と決意。翌年1年でツアー費用を貯め、年末に会社を辞め、半年遊んでからツアーに参加というシナリオを書き、ツアーから帰ってからのバイト先(カンテ)も確保しておく、という、まさに僕にとっての一大イベントでした。

ちょっと横道にそれましたが、ツアーのオプションで客の2/3がニューヨークに行ってる間、僕は客の中の二人とともにサンフランシスコから南下し、サンタバーバラで二人と離脱、ひとりでここハリウッドに3日間滞在していました。理由は、オプションに参加するお金がなかったのと、最初からハリウッドに行くと決めていたからです。最初YMCAに泊まろうと考えていたんだけど、行ってみると空きがなく雰囲気も悪そうだったのでそこは諦め、近くの安宿を紹介してもらいました。
その宿の名前が「チェロキーホテル」。いかにもな名前だなと思って行ってみると、日本人の二世の人がやってるらしく、日本語の(でも古くさい言い回しの)「宿の特徴と注意事項」のプリントをもらい、「夜は7時以降は外に出ないように。拳銃を持ったヤツがウロウロしてる。」とかなんとか片言の日本語で言われ、かなりビビってました。

交通機関はバスしかなかったので、3日間のフリーパスを買って、昼間は地図を見ながらあちこち観光して廻りました。ファーマーズマーケットで昼食を取ったり、映画の舞台になった「サンセット大通り」に行ったり、ビバリーヒルズに行ったり。ひとり遊びは結構得意だったりします。

ビバリーヒルズは人通りがなかった。

夜は必ず6時には帰って、一歩も外に出ずじっとテレビを見てたんだけど、三日目にはさすがに飽きて来て、怖いけど外に出かけてみてびっくり。全然怖そうな雰囲気ではなく、観光客が半パンで買い物してるようなそんな感じだったのです。「だまされた!」と思ったけど、それぐらい言っておかないと問題が多かったんでしょうね、たぶん。で、その晩は、チャイニーズシアターで「スターウォーズ/帝国の逆襲」を観ました。この映画なら英語でもストーリーは分かるだろうと思ったんだけど、失敗でした。会話のシーンが多くてこれが全く分からない。映画の途中で寝てました。後で日本で見直したら、フォースがどうたらこうたらとやたら長い説明でこれは寝るわと改めて思った次第です。
それで、ハリウッドはよかったの?といえば、そうでもなかったというべきか。
でも、散歩の途中、キャピトルの本社ビルが見えたり、商店街でオリーブオイル(ポパイの恋人)のトートバッグが買えた事がよかったかな?とか思ってます。

翌日は朝早く起きて、ニューヨークへ行ってた人たちとUCLAで合流。
わけもなく感情がこみ上げてきて、人懐っこくみんなに話しかけていましたね。

あとでウチの奥さんが言ってたけど、「久しぶりに会ったその時の笑顔がホントにうれしそうで、よっぽど寂しかったんだわ」とか思ったそうです。

ああ、恥ずかし。








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