カンテ写真部

その21

photo & text : kanbara



<ネパール カトマンズ 1986 その4


「カトマンズ」という言葉を最初に目(耳)にしたのは、1965年公開の「カトマンズの男」というフランス映画でした。高校の時に「ジャン・ポール・ベルモンドの傑作」だとある雑誌に書いてあったのを覚えています。
でも、今まで観る機会がなく、どんな映画なのか知りたくてネットで調べてみたら・・・、

「自殺癖のある大金持ちの若者が株で一文無しになり、自分に1ヶ月契約の巨額の生命保険をかけて友人の中国人と形だけの婚約者を受取人にする。その直後、ある女性に恋して初めて生きる目的を見い出すが、彼の命を狙う輩に追われて香港→インド→ネパール→香港→ランカウイ島を逃げ回る、という話。」らしい。変な話。

別のブログでは、「タイトルを見て期待したわりにはカトマンズのシーンは少なかったが、貴重な40年前のネパールの映像が見られた。最初に降り立った空港はカトマンズではなくポカラのようだ。パタンやスワヤンブナートらしき場所も映っている。」とあった。

ちなみに、上の写真の中央がスワヤンブナート(寺院)で、ここからカトマンズの街が一望できるので、観光客はまずここに連れて来られるようです。僕も井上さんとカトマンズに来た時、案内役のウダヤさんは初日にここに連れて来てくれました。
ただ、井上さんは何回もここに来た事があるのでつまらなかったらしく、僕を置いてさっさとどこかへ行ってしまい、僕だけでしばらくウロウロしてたのを思い出しました。

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1986年当時、人づてに聞いた噂では「日本に嫌気をさした日本人がネパールにたくさん住み着いている」らしく、旧王宮広場へ行った時、日本語を話す日焼けしたネパール人のような若い女性を見かけましたが、彼女もそのうちの一人なのかもしれないとその時思いました。

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市内にはやたらとヒッピー風の西洋人が多く、彼ら向けの安宿や喫茶店や土産物店がたくさんありました。「精神世界の旅」の果てにカトマンズにやってくることが若者の夢だった時代、1960年代後半から70年代にここにやって来た人は本当にかっこ良かったんだろうなあ。でも、1980年代ではもはや時代遅れだったように思います。

どの時代でも先駆者は常にかっこ良く、エピゴーネン(追随者、模倣者)は常にかっこ悪い。

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女の子達の写真は、昔はあまりいいとは思わなかったけど、こうやって見直してみるとみんないい表情をしていますね。どっかの旅行者にカメラを向けられてはしゃいでいます。日本人のような、インド人のような、色んな血が混ざっているのがカトマンズの人の特徴です。






バス停留所の売店のガラス越しにネパールのお酒「ロキシー」を撮ったもの。
紙の封印がいいですね。


(この記事は2009年に書いた物です。先日起きたネパール大地震。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。)







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