カンテ写真部

その22

photo & text : kanbara



<ネパール カトマンズ 1986 その5

カトマンズ市内のレストラン「ふじ」でトンカツ定食を食べたあと、ペンションバサナへ帰る途中、露店で見つけたインド製のトニックの瓶。
これはバサナの屋上で撮影しましたが、3月の後半だったけど日中はけっこう暑かった。

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旅行をするといつもする事があって、何かカンテで使えそうな珍しいイラストを探しました。で、これを見つけたわけです。僕はビンも好きなので、これは一挙両得でした。
ペンションバサナに帰って、屋上へこれを持っていって撮影しました。
ビンはもうどっかへ行ってしまいましたが、ラベルだけは剥がして今でも持っています。

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ある日の記録。

3月30日(日)
7時起き 食堂(ホール)へ行ったら、テーブルにハエがいっぱいたかっていた。
ランバズール(調理人)に朝の紅茶を頼み一服。
8時 朝食
9時〜12時 井上さんと服のチェック
12時30分 昼食は、ランバズールに市内のパン屋さんでパンを買って来てもらう。
タクシー代(20Rs.)チップ(5Rs.)パン代(30Rs.)
2時 服の工場へ行ってチェックしたことの説明。
3時 パタンへ生地探し。古い生地屋さんが並んでいたけど、あまりいい生地はなかった。
4時 パタンからの帰り道、井上さんが竹かご(カンテでの販売用)を買った。
5時 市内のタメールの生地屋へ。いい生地はせいぜい10mほどしかないので、ワンピースなら1着しか作れない。それでもいいのがあれば買っておく。
6時 Cafe do Cabin(市内のカフェ)へ行ってファンタを飲む。
前に座っていた人が焼きそばを食べていて、僕も食べたくなったので、水牛の肉の焼きそば(チョーメン)とジンジャーティーを注文。
8時 インドラチョークの生地屋で生地探し。
9時 バサナに帰って来て、シャワーを浴びていたら停電。
10時 就寝

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服の工場へ初めて行った時、ちょっとビックリしたことがありました。

僕の想像では、服の工場といえば女性がミシンを踏んでいるものだとばかり思っていたら、実際は男ばっかりの職場だったことです。2階建ての工場の1階では、10人ほどの男の人がミシンを踏んでいて、野外でも2〜3人の人が服を縫っていました。
聞くところによると、ミシン工員は服の生産が盛んな時期だけ契約して、仕事がなくなれば別の工場へ移動するという渡り鳥のような出稼ぎ労働者だそうで、毎年同じ人が同じ工場で働く事はまれらしい。
それで一つの疑問が氷解しました。同じ縫製の間違いを何度もするのはなぜだろうと思っていたのですが、いくらこっちが間違いを指摘しても直らないはずです。毎年違う人が担当しているからですね。

さて、それでは女性はどうしているのかというと、写真のようなボタン付けや手縫いでないとできないような仕事をしているのでした。おしゃべりをしながら。

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ネパールで出来上がった服は、その年のシーズン前に伊丹空港(当時は国際線もあった)に届き、カンテと契約している通関業者によってカンテの倉庫に運ばれました。
半期に一度の輸入で、30〜50kgの箱が30個ほど届き、それをさばいて片付け、スタッフで金額を決め、値札を付け、お店に発送するのが僕の仕事でした。中には生成りで作って日本で染める服もあり、染色屋さんに服を持っていくのも僕の仕事でした。

ある時、荷物の中にこんなハサミが入っていました。

誰かが間違えて荷物の中に入れてしまったようでした。ネパールの工場で見た事ありましたから。
これは今、僕専用のハサミとして紅茶の作業場で活躍しています。僕にはちょうどいい大きさなのです。






ネックレスとかに付けるパーツ用の魚です。
けっこう人気がありました。







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