[ 神原通信 ]

 

2020年11月30日(月

<今日の1曲

昨日の「かまやつひろし」に呼応して、高田くんからこんなメールが。

「浅川マキの曲『にぎわい』作詞:浅川マキ 作曲:かまやつひろし そこはかとなく、好きです」

浅川マキ 「にぎわい」ライヴ・アルバム『浅川マキ・ライヴ・夜』より

かつての「にぎわい」を懐かしく思い出す・・・今の僕にピッタリの曲ですね。

さて、<おまけ>として、「Oh!エド日記#32」で紹介している「1960年代にあった7種類の喫茶店!?」を僕なりに解説します。
エドさんとは6歳違うし、エドさんは東京、僕は大阪(1973年以降)なので、その違いも面白い。

・ジャズ喫茶

 

「当時アメリカから入って来る音楽、ジャズ、カントリー、ポップス等のことを「軽音楽ジャズ」と呼び、これらの生演奏を聴かせる場所が、ジャズ喫茶だった。」

1973年に大阪に住んだ僕の知ってるジャズ喫茶は、ライブハウスではなくて、「ジャズのレコードを大音量で聴かせる喫茶店のこと」でした。「バンビ」とか有名でしたね。一人で店内に入ってコーヒーを注文し、ただひたすらジャズを聴くというのが主流でした。そこから派生したのが「ロック喫茶」で、ツェッペリンとかを大音量で流してました。
山下くんに連れて行かれたロック喫茶は、照明の全くない真っ暗な部屋のソファーで、全くしゃべらずコーヒーを飲みながらロックを聴いたことを思い出します。

・歌声喫茶

「一般に知れ渡っていた古い歌謡曲や童謡などの歌詞を配り、それをみんなで唄う場所。」エドさんによると「ダセーな!って感じ」だったそう。

1070年代の大阪にはもうありませんでした。あっても絶対行かなかったでしょう。

・音楽喫茶

リクエストカードに好きな曲を書いてレコードを掛けてもらうというシステムだったらしい。これも大阪にはなかった。60年代で終わっていたのかも。

・名曲喫茶

「クラシックしか掛からない喫茶店」

これは、1980年代にもありました。店内がデコラティブで、趣味が悪かった。「カンテ」も1970年代はクラシックしか掛けなかったみたい。紅茶専門店はだいたいそうでした。「カンテ」は趣味が良かったけど。

・美人喫茶

「20代の美人が「ツーピース、タイトスカート」の制服を着て、接客をするというそれだけの店。」

梅田の泉の広場に1軒ありましたね。僕は勇気がなかったので入ったことはありませんでしたが、入口にミニスカートの人が立ってました。

・純喫茶

アルコール類を出さない、コーヒー、紅茶、サンドイッチ、軽食の店。
カンテも昔(1970〜80年代はじめ)はこれでした。中津店で青島ビールを出したのが初めですね。僕はこれ嫌でしたが、時流には逆らえませんでした。

・同伴喫茶

「2人ずつの席が、列車のように向きを同じくして並んでいて、シート毎にカーテンで区切られていた」という。

これは喫茶と名がついているけど、別物ですね。梅田の東通り商店街に1軒ありました。窓のない建物の2階にありましたが、入ったことはありません。一度は行きたかったけど、同伴してくれる人がいませんでした。(笑)

 

 

2020年11月29日(日

<今日の2曲

「ノーノーボーイ」ムッシュかまやつ

「Oh!エド日記」でスパイダースの話が出てきて、この曲に辿り着きました。堺正章のボーカルがオリジナルなんだけど、僕はかまやつさんの方が好きだなあ。なんか物悲しくて。

かまやつ ひろしは1939年生まれで、2017年に亡くなっています。「ザ・スパイダース」の元メンバーで、1989年以降は、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名。

こういう動画もありました。
ムッシュかまやつ・玉置浩二 〜 「あの時君は若かった」

もっとかまやつひろしに興味が湧いたので探したら、対談がありました。

「大滝詠一のスピーチバルーン かまやつひろしさんを迎えて」

この対談は「ニッポン放送で今年(2013)の2月15日に放送された「ズバリ!ラジオ」で「大滝詠一のスピーチバルーン」として放送されたものを音楽部分を削除編集したものです。ただし、オリジナルは2002年2月BSデジタルラジオでの放送で、その編集版が今回放送されたものです。」ということです。

ちなみに、エド山口と大瀧詠一は1948年生まれだから、かまやつさんは9歳も年上だったのだ。僕が中学生(15歳)の頃スパイダースが活躍していたけど、ムッシュはもうその時、30歳を越えていたのかと思うと、なんとも感慨深い。

 

2020年11月24日(火

<今日のチャイ:岡山のIさんのチャイの作り方

僕のブレンドした茶葉を買っていただいている方の中には、僕のレシピや作り方以外のやり方でチャイを楽しんでおられる方がたくさんいらっしゃるはず、だと思っています。「お茶の世界」では、10人の作り手がいれば10通りの作り方がある、というのが当たり前ですから、チャイにしても同じでしょう、たぶん。

チャイを生業(なりわい)にされている方達は、YouTube等で「チャイの作り方」を紹介されていますが、趣味で何年も作られている方達の情報というのは、なかなか外には出回らなくて、「一般の人は、どうやってチャイを作っているんだろう?」とか「私の作り方と同じ人はいるんだろうか?」とか「自分のやり方は間違っていないんだろうか?」とか、日々悶々とされている方は多いんじゃないかと思います。僕が今まで「チャイのワークショップ」をやってきたのは、そういう人と出会うためでもあったんですが、今年はそんな出会いもゼロでした。

じゃあ、どうしよう?と思っていたら、今回の「セイロンブレンドチャイ」を注文された岡山のIさんから、「先日の(インスタグラムでの)マグカップ早見表で、茶葉対比を確認させていただきました。ちなみに私のチャイの作り方はこんな感じです」とメールをいただき、「ああ、こういう方法もあるんだ。」と納得したわけで、じゃあ、これを「僕のブログに載せてもいいですか?」ってお願いしたら、いいですよ、となったわけです。

前置きが長くなりましたが、以下が「岡山のIさんのチャイの作り方」です。ご覧下さい。


※我が家(二人)は、ストレート、砂糖なし、ホットが基本です。

※道具は、容量1200ccの雪平鍋を専用として作製です。
 熱伝導率や、水分蒸発具合が瞬時にわかるので、20年以上使用の器具です。

1)茶葉を計量・・17g前後

2)水を計量・・400cc

3)グリーンカルダモンを4〜5個、スプーン2枚重ねに挟み、殻を潰して投入

4)水より煮出し、思いの濃度まで煮込んで、

5)冷蔵庫の牛乳を取り出し、計量して投入・・400cc

焦げつかないように撹拌しながら煮込み、任意の色・味で完了です。

※撹拌は大きめのスプーンを使い、濃度を視認しながらの処理。
 時間は計測せず、スプーンごしの濃度で判断、スプーンで少し試飲してます。
 スプーン試飲は、食後に飲むのが殆どなので、食事内容と添えるスイーツ類からの判断です。

今年は、「WAGH BAKRI Premium Tea」を基本に、いろいろな茶葉を比率を変えて試飲していますが、なかなか満足な味・香りとなりません。これも日々の嗜好的なブレが、要因でしょうが、このいろいろ試行錯誤(嗜好錯誤・思考錯誤)が楽しいもんです。


さすがに、男っぽいですね。(笑)
僕もそうですが、何かの実験のように、チャイを作っている姿が思い浮かびます。
しかし、二人分で、800ccというのはすごいです!水分が飛んだとしても、一人あたり300cc強ですもんね。
ガブガブ飲むタイプのチャイですね。
行平も使いこなしてます。僕は仕事で行平を使いこなせなかったので(料理下手なので)、ホーロー鍋に落ち着いたんですが、これも20年来の道具です。やっぱり、道具は大事です。

さて、こんな風に、このページを見ているあなたの作り方をここで発表してみませんか?
コーヒー好きの人はたくさんいて作り方を公開している人もたくさんいますが、チャイ好きの人は「大人しい」のでなかなか表に現れて来ないですよね。
そんなことでは、間違った解釈のチャイが横行している現状を打破できないですよね。

「本当のチャイはくせのない、飲みやすい飲み物なんだ」ということを広げて行きましょう。


<今日の1曲>

加山雄三/ブラック・サンド・ビーチ (1965年)作曲:弾厚作

「Oh!エド日記」が面白いのは、僕のツボをグイグイ押して来るからなんです。
「グループサウンズ」「ベンチャーズ」「エレキギター」「昭和ポップス」といった僕好みのキーワードが続々と出て来るから、「止められない止まらない」。
1回が15〜20分で、もう20回分は見ましたね。僕はギター少年ではありませんが、エレキギターの話を聞くのは楽しいんです。「弾けたらよかった」という憧れですよね。

で、今回は、日本人が作ったと思えないほどかっこいい名曲の「ブラックサンドビーチ」です。
「ベンチャーズもビックリ」で、カバーしてますが、ライブの方がすごい。

Black Sand Beach ブラック・サンド・ビーチ - Ventures 45th Anniversary

そして、こんな人も。

村下孝蔵・加山雄三を弾く・ブラックサンドビーチ

そして、本人登場。

ブラック・サンド・ビーチ/ 加山雄三&ハイパー・ランチャーズ ライブ

さらに、競演!!

Black Sand Beach The Ventures with kayama yuzoin High quality

 

 

2020年11月23日(月

<セイロンブレンドチャイ販売中です。

「神原チャイ」のニューバージョンに、香りのよいセイロンの高地産紅茶(ディンブラ)をブレンドして、紅茶好きの方にも満足してもらえる茶葉を作ってみました。お試しください。

詳しくはこちらです。

<今日の1曲

「黛ジュン/真っ赤な太陽」1967

「Oh!エド日記」の中で「真っ赤な太陽」の黛ジュンのバージョンがあることを知りました。

ウィキによると、
この曲は「元は美空ひばり芸能生活20周年記念アルバム『歌は我が命〜美空ひばり芸能生活20周年記念』に収録する為に制作された曲で、シングル盤を発売する際にひばりのスタッフの中で評判が高く、ひばりの母・加藤喜美枝もシングル化を推したことから、アルバムからのシングル・カットとして発売されることになったという話が残る。」としながらも、「作曲を手がけた原信夫は本楽曲が完成した際、ひばりと江利チエミのどちらに歌わせるか迷った末にひばりの楽曲にした。本楽曲がヒットした後にチエミは「あれは本当は私の曲よ」と嫉妬したという。」

さらにエドさんの話では、「1967年、4曲入りコンパクト盤『霧のかなたに/恋のハレルヤ/真赤な太陽/恋のサルビア』用にカバー・バージョンを録音したものの、ひばりのお母さんから「ウチのひばりの曲をどうするつもり?」と発売拒否を受けた。」ということでした。後に、CDでは発売されたそうですが。

ということで、聴いてみたんですが、いいですね。このYouTubeのコメントの下の方に、さらに詳しい経緯が載っています。興味のある方はどうぞ。

 

2020年11月19日(木

<今日のチャイ

黙々と「セイロンブレンドチャイ」のテイスティングをやってます。ある時は、できあがり130cc、ある時は140cc、またある時は200ccと様々。今日は、ジンジャーシロップを足しました。ちょっと甘くなりすぎたけど「チャイはスイーツ」だと考えれば、これはこれでおいしい。


<今日の1曲

「Oh!エド日記」今日も聞きました。これクセになりますね。
エドさんは1948年生まれだから、モロ団塊の世代なので、元気というかパワフルです。それに「ベンチャーズに影響を受けてギターを知り、高校時代にはセミプロだった」というから、その点も僕は興味津々なんですよね。
芸能界の裏話、表話取り混ぜてしゃべってくれるし、それにラジオじゃないから寝る前にヘッドフォンであれこれ聞いてると、寝られなくなってしまう。
さて、今日聞いたのは「グループサウンズ」の回。(第何回だったか忘れました。ごめん)
今の人たちは「グループサウンズ」と言っても分からないと思うので、かいつまんで説明してみます。

かつて歌謡界に「グループサウンズ時代」というものがありました。1960年代後半に、ビートルズやベンチャーズなどのグループに憧れた若き反逆者(不良)どもが雨後の筍のようにジャズ喫茶(ライブハウス)に現れたのです。彼らがステージで演奏すると、若い女性達は悲鳴をあげて熱狂したのです。タレント事務所やレコード会社各社はこれを見逃さず 、こぞって彼らのうちで売れそうなグループに声をかけ、職業作家たちに彼らに合う曲を作らせ、若い女性達に受けるようにデコレーションを施してレコードを売ったのでした。
彼らを、マスコミはいつの頃からか「グループサウンズ」(ジャンル名)と呼ぶようになり、彼らはブーム(社会現象)に巻き込まれ、本人たちの野望とは裏腹に「商品として扱われた」彼らの大半は、夢破れて消えて行きました。このブームは、1967年〜1969年のたった3年間でした。
しかし、彼らのうちで何人かは歌謡界で生きながらえ、新しい歌謡曲の潮流を作り出し現在に至るのですが、そういう歌謡界の裏話が聞けるのが「Oh!エド日記」のいいところです。

では、エドさんお薦めの名曲をどうぞ。

「恋はもうたくさん / ザ・ダイナマイツ」


2020年11月18日(水

<今日の1曲

「筒美京平」で検索してたら、モト冬樹のお兄さん、エド山口さんのYouTube「Oh!エド日記」というのがありました。面白いですね、この人。色んな肩書きがあって、漫談家、俳優、ミュージシャンで、エレキバンド「エド山口&東京ベンチャーズ」のリーダーっていうからすごい。御年72歳。元気です。
エドさんの何がすごいかって、記憶力抜群。西暦と昭和が一緒に出て来る。誰がどんな歌を歌っていたのかをハイスピードで紹介してギターを弾きながら歌ってしまうからすごい。商売とはいえ72歳の出来る事ではない気がします。ま、けっこう間違えてますけど、そこは愛嬌。(笑)

【エド山口#81】追悼!筒美京平さん
「偉大な作曲家アレンジャーの筒美京平先生がお亡くなりになられました。 数々のヒット曲の中でエドの思い出を語りつつマニアックな曲もご紹介します。」

ということで、色々出て来るんですが、かなりマニアック。1960年代はテレビっ子だったからよく歌番組とか観てたけど、1960年代後半は、高校受験の勉強のため、深夜放送ばかり聞いてたなあ。でもこの頃は、まだ筒美京平の名前は知りませんでした。
さて、この番組のハイライトがこの曲です。

「あの場所から/ Kとブルンネン」( 1970 ) 作詞:山上路夫、作編曲:筒美京平

1970年は、僕は高校1年生。修学旅行で大阪万博へ行ったんだけど、泊まった旅館にジュークボックスがあって、はしだのりひことシューベルツの1969年のヒット曲「風」を掛けた事だけは鮮明に覚えています。

 

2020年11月16日(月

<今日の1曲

「夏のクラクション / 稲垣潤一」1983 作詞:売野雅勇、作曲:筒美京平、編曲:井上鑑

この曲を見つけたのは、「9の音粋 2020/10/15(木)クリス松村 選曲 筒美京平特集」というラジオ番組のYouTubeで、この中で特に光っていたのがこの曲。

クリスさんは、レコード、CD、DVDを2万枚持っているだけあって、渋い選曲をしていて、初めて聴いた曲がほとんど。今日の一曲も初めてですね、かなり有名な曲らしいですが。
80年代に入って、京平さんは自分で編曲しないで、色んな人に任せたんだけど、70年代とは音の厚みと広がりが断然違いますね。オーケストレーションが半端なくゴージャス。特にこの曲の編曲を担当した井上鑑さんは、「ロング・バケーション」ではキーボードで参加。大瀧詠一ですよ。
wikiによると、「1970年代後半から大瀧詠一のユニットに参加。「自称・師弟関係」というほどの繋がりがあり、70年代から80年代のレコーディング参加を通して様々なことを学んだと語っている。90年代に入って大瀧が活動再開した際も、ほぼ全てのレコーディングに参加している。」ということです。
この曲ではバックコーラスが凝ってますね。

 

2020年11月13日(金

<『セイロンブレンドチャイ』の誕生

ちょっと前から、以前僕が作っていた「ダージリンブレンドチャイ」に変わるものを作ろうとしていて、ついに先日、ダージリン紅茶ではないけれど、美味しいディンブラ(セイロン紅茶)が手に入ったので、これを新しい神原チャイのブレンドに使ってみました。これが意外とおいしかった。

そこで、今はこれを商品化しようと考えています。名付けて『セイロンブレンドチャイ』。「神原チャイ」自体も、セイロン茶とインドのCTC紅茶のブレンドなんですが、こっちのセイロン紅茶は、スリランカの低地で育つもの。そして、ディンブラは高地で育つ紅茶。味がまるっきり違うのです。チャイに最適なのは低地産のもので、高地産は渋みが強いので煮込むのには向いていない。でも、極少量使う分には、適度な渋みが加わって味に深みが出るんですよね。

今の「神原チャイ」でも、十分美味しいんだけど、時には軽い渋みも欲しくなる。そんな時、このディンブラをブレンドした『セイロンブレンドチャイ』があれば、よりミルクティー寄りの紅茶が楽しめるというわけです。(ただし、純粋にプレーンチャイを楽しむ人か、スパイスやハーブを少量足して香りを楽しむ人向けです。マサラチャイのベースには向いていません。スパイスがディンブラの微妙な味わいを消してしまうから。)

今日は、この新しいブレンドを使ってチャイを1杯点てします。ドキュメントタッチで、かなり詳しく説明していますので、じっくりと想像しながら読んでください。


・使用器具:
・卓上IH調理器(1200W)目盛り6段階調節(コイズミ)
・直径16cmの琺瑯片手鍋(フジホーロー)
・タイマー、200ccの計量カップを使用。

セイロンブレンド

※出来上がりは200ccです。

リーフ

セイロンブレンドチャイ:5g

スケール

水:150cc(ブリタで浄水したもの)

牛乳:メグミルク(乳脂肪分3.5%〜):150cc 合計300cc

時間

1)手なべに水と茶葉を入れてIHの「目盛り6(強)」でスタート、と同時に3分にセットしたタイマーをスタート。

2)お湯が沸くまでに1分15秒。目盛りを5(中と強の真ん中)に下げると、鍋の底にドーナツ状に泡が出る。これを1分45秒キープ。

3)タイマーが鳴ったらストップボタンを押し、牛乳を入れ、目盛りは6に戻し、タイマーを4分にセットし直してスタート。(この間3秒。素早く。)

4)1分ほどで泡が立ち始め、1分半で鍋の9分目に到達するので目盛りを5に下げ、2分で目盛りを4(中)に。じゃないと噴きます。

5)残り2分間は泡を9分目でキープ。IHの真ん中に鍋を置くと対流せず、中央が割れて泡が盛り上がり、泡の周辺に茶葉の膜が張る。スプーンでかき混ぜる必要はありませんが、茶葉を落としても構いません。どちらでもお好きなように。

6)タイマーが鳴ったらストップ。茶こしで計量カップに漉すと、ピタリ200ccになる。(経験がものを言う瞬間。)
これをマグカップに移し、砂糖を足して完成。(砂糖を途中で入れる場合は、牛乳と一緒に。味は微妙に変わります。出来上がってから入れた方が、あっさりする。


7)チャイもIH調理器も高温に注意。

8)出来立ては熱い(85℃)ので、鍋を洗っている間に冷えますから、それから飲むといいでしょう。適温は65℃です。

砂糖 三温糖:9g(三温糖じゃない場合は、加減してください。ノーシュガーはダメですよ。全然おいしくなりません。)

セイロン紅茶の軽い渋みが加わって、また一歩理想的なチャイに仕上がりました。
販売はもう少しブレンドの比率を詰めてから行いますので、しばしお待ちください。

 

2020年11月12日(木

<今日の映画

「アントマン & ワスプ」(2018)

「アントマン」の2作目です。1作目からストーリーが繋がっているので、これだけ単品で観るとつまらないというか、わけが分からない。その、話を繋げたところが僕的にはあまり面白くないから人には勧められない。でも、この映画にはいいところがあります。まず、主演の人が地味だけど面白い。ノリが最高です。オバカな3人組も笑える。あと、特撮がすご過ぎて、どうやって合成しているのか全く分からないぐらいすごい。その場面だけ二度見したぐらい。だから、ストーリーは無視しても大丈夫な映画です。
一番のお気に入りの場面は、キティーちゃんPEZが巨大化するところ。何度観てもすごい。

<筒美京平 作・編曲 オリジナル・カラオケ>

持ってる人は持ってるんですね、こういうの。オリジナル・カラオケならYouTubeにアップしてもいいのかな?

「 レッツ・ゴー・サザエさん (1970) / サザエさん (1969〜) オリジナル・カラオケ 【疑似ステレオ】」

「シンデレラ・ハネムーン/岩崎宏美」(1978)

私たち/岩崎宏美」(1975)

<おまけ:すぎやまこういち 作・編曲>
帰ってきたウルトラマン (1971) オリジナル・カラオケ


2020年11月10日(火

<今日は5曲

編曲はすべて筒美京平

マドモアゼル・ブルース」1968 ザ・ジャガーズ 作詞:橋本淳
「マドマゼル♪ブルース〜」
潮風の季節」1972 平山みき 作詞:橋本淳
田代 麻紀のカバーだそうです。

ダンシング・セブンティーン」1968

オックス 作詞:橋本淳
イントロのドラムが好き。
嘘でもいいから」1970 奥村チヨ 作詞:川内康範
「ナデナデしてね」
涙の糸」1969 ブルーコメッツ

作詞:橋本淳
R&Bだぜ!

 

 

2020年11月9日(月

<今日のチャイ

インスタのネタに困って、最近作った「160ccのレシピ」を少し手直ししてアップしたら、久々の500人越えになりました。なんか、数字が載ってると得をした気分になるんでしょうか?
ま、しかし、華のあるネタをアップしていない時も「ちゃんと地味にチャイの事は考えてますよ。」というのはアピールしておかないと、ね。(笑)

さて、最近の茶葉の注文の動向ですが、神原チャイよりも神原チャイSPが多いですね。そりゃそうです。普通のとおいしいのとどっちを買う?って言われたら、おいしいほうを買っちゃうのが人情というものです。だから、本当は「神原チャイ」をリストから外そうかな、とか思ったんですけど、初心者にいきなり「神原チャイSP」を渡したら、なんだか有り難みがないかな、とか思っちゃう。まずは「神原チャイ」で「チャイって何だろう?」というのを十分理解した上で「神原チャイSP」を味わうと、なぜスペシャルがあるのかがよく分かると思うんですよね。

それと、今年の自信作「ジンジャーチャイ」は、インスタでも「ストーリーズ」に加えてますけど、感動してくれる人が多いです。あれは茶葉の威力ですね。それに加えて手作りの生姜チップスのおいしさ。あれで「ふ〜ん。」とか言われたんでは、ブレンドしてる僕も悲しいですもんね。

<今日の1曲>

今日も今日とて、ネットで筒美京平さんの曲探し。いいのがありました。曲は聴けないけど、京平さんがしゃべってます。約1時間。聞き逃すと損ですよ。

【追悼 筒美京平先生】小島一慶のザ・ヒットパレード ベストソングライブラリー 筒美京平スペシャル(1997/11/26 O.A. ゲスト:筒美京平)

あと「 近田春夫×筒美京平特集 」で名曲を見つけました。

「恋の弱み」郷ひろみ(作詞:橋本淳/作曲・編曲:筒美京平)

「1976年2月にリリースされた郷ひろみの16枚目のシングルで、近田春夫&ハルヲフォンが1978年のアルバム『電撃的東京』でカバーした 。」(Wikipedia)
このアルバムを最初聴いた時、この曲の良さが分からなかったけどそれは近田春夫のボーカルが弱かったせいで、この原曲を聴くと「素晴らしい!!」ことが判明しました。ノリが最高ですね。 この曲のステージバージョンのバックの音に注目。和製R&Bですよ。前列の3人がすごい。

 

2020年11月2日(月

<今日の1曲

「砂の城」斉藤由貴(作詞:森雪之丞/作曲:岡本朗/編曲:武部聡志)
1987年4月10日リリース9thシングル

・富士フイルム「AXIA」のイメージソング
・週間2位(オリコン)
・1987年度年間64位(オリコン)
・2位(ザ・ベストテン)
・1位(歌のトップテン)

キャッチーなメロディーと印象的な歌詞「光る砂が残るわ」で、何回も聴いてしまう。
録音がきれい。エコーが効きまくってる。斉藤由貴の曲には珍しいギターの間奏が入る。

「夜のヒットスタジオ・バージョン」
もあるよ。

 

<NHKスペシャル「筒美京平からの贈りもの 天才作曲家の素顔」>

我が家のテレビのチャンネル権は僕にはない。ウチの奥さんがチャンネルを変えて行き、見たい番組のところでリモコンはテーブルの上に置かれる。そこは僕の手の届く範囲にはなく、ま、手が届いたとしても僕はチャンネルは回さない。どうせ見たい番組なんてないから。

土曜日の夜、いつものようにチャンネルを回していたら、筒美京平の追悼番組で止まった。ウチの奥さんも筒美京平には興味があってよかった。
10分程見逃したけど、見応えは十分ありました。CCBの笠くんの思い出話は初めて聞きました。自信のない笠くんの声質に惹かれた筒美さんは、彼をメインボーカルに。本人は「なんで僕に?」ととまどったけど、歌を褒めてもらったことを嬉しそうに話しているのが印象的でした。

「2,700曲を世に送り出し、今月80歳でその生涯を閉じた」京平さんの秘密をさぐる。

1)ゴージャスでパンチのあるイントロ

2)曲を音で埋め尽くす

まさにその通りです。僕は京平さんの音楽を60年代からずっと聴いてきたから分かります。

だけど、2000年を越えたころから筒美さんの名前を聞かなくなった。何曲かはヒットした(仲間由紀恵、TOKIO等)けど、衝撃というほどではなかった。その後、パーキンソン病を患っていたという。松本隆さんが、「未練はないけど、もう一度会いたかった。手を包んであげたかった。」というのは、たぶん病室でということだろう。

翌日、NHKのサイトで、見逃した番組を観られることを知って「NHKプラス」に登録して、もう一度、今度は最初から観ました。終わりまで。たぶん、今の僕なら時間の許す限り、何回でも観ると思う。もっと、誉め称えて欲しい。それに浸りたい。それが、今の僕の心情です。


 

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