[ 神原通信 アーカイブ ]Page 40
2023年12月23日(土)
<ブライアン・ウィルソンの『ブルー・クリスマス』>
ザ・ビーチ・ボーイズのリーダー、ブライアン・ウィルソンが一番最初に買ったレコードが、フォー・フレッシュメンの「Four Freshmen and Five Trombones」だったとか。
このアルバムを聴くと、どれだけザ・ビーチ・ボーイズ に影響を与えたかが分かります。
そのフォー・フレッシュメンのクリスマス・アルバム「SNOW FALL」から1曲。
「I SAW MOMMY KISSING SANTACLAUS 」
1963年に「Little Saint Nick」をヒットさせたブライアンは、翌1964年に「クリスマス・アルバム」を発表。ロック的な曲は5曲ぐらいで、あとはフォー・フレッシュメンのようなジャズ風に仕上げています。
その中の1曲「Blue Christmas」は彼のソロボーカル
The Beach Boys' Christmas Album (1964) - The Beach Boys
この曲はシングル「Little Saint Nick」のB面として発表。21歳のフレッシュな声ですね。
2023年12月15日(金)
<『007は二度死ぬ』>
![二度死ぬ](img40/TWICE.jpg)
ブルーレイ画質★★★★★
2本目に買ったのは007シリーズ「007は二度死ぬ」。
どうしても持っておきたい作品ですね。
ま、子供の頃の夢なので。
映像で印象的なのは、香港での艦上でのボンドの葬礼、続く日本での国技館での撮影、リトル・ネリー(1人用ヘリコプター)の離陸シーンなど。アクションシーンの撮影以外は撮影はなんと「アラビアのロレンス」のフレディ・ヤング。だから、日本の夜景とか、東京ドーム1個分もあるスペクターの火山基地の撮影も難なくクリアしたとか。
ただ、全体的に話があまりにも荒唐無稽だし、アクションも無理矢理感があって、出て来る俳優たちもエキストラも含めて寄せ集め的な映像だし、「007」という思い入れがないと、今となっては「カス」みたいな映画にしか見えないのが残念。
ボンド映画も5作目とあって、可能な限りの制作費を注ぎ込まないと観客が満足しないだろうと、火山の火口のセットに100万ドルをかけ、トヨタ2000GTのカブリオレを特注し、日本の2/3をヘリでロケハンしたりとやりたい放題。でもね、4作目の「サンダーボール作戦」もそうだったけど、見所を作りすぎて物語が散漫になり、監督が全編をコントロール出来てないんですよね。
それでも僕は、この映画をもう10回ぐらい観ています。
本編だけでも何回か観ていますが、このブルーレイ(以前のDVDも)の特典として、ルイス・ギルバート監督と製作スタッフ、キャストによる音声解説があるので、この解説を聞きながら映画が何回も楽しめるんですよね。当時の時代背景とかを思い出しながら見ると、思わぬ発見があったりするんです。丹波哲郎、浜三枝のしゃべっている英語は吹き替えだし、時々口と台詞がズレていたり。
今回の鑑賞での発見は、プロフェルド役のドナルド・プレザンスが、抱いているペルシャ猫がラスト近くで、拳銃の音や爆発音に驚いて必死に逃げようとするのを引き止めているシーンがありました。これは笑えます。この猫、撮影後2日間ほど見つからなかったというから、よっぽど怖かったんでしょう。
さて、今回の映画でのハイライト、「火口内部のセット」が巨大だというのは観れば分かるんですが、実際にセットに入った人に言わせれば、「想像を絶するあの時の驚きは映像では分からない」らしい。それ、なんか分かる気がします。
このセットを作ったのがケン・アダム。彼は「Dr.No」「ゴールドフィンガーで特徴的なセットを組んでいますが、彼の描いたスケッチがこれ。
![セット1](img40/VOLKANO_01.jpg)
実際にヘリコプターが火口から出入りしてるぐらいでかい。ただし、セットで作ったのは内部のみなので、火山自体は絵だそうです。このセットはイギリスのパインウッド・スタジオに作られ、その画像もネットにありました。
![セット外](img40/SET_OUT.jpg)
まさにドーム球場ですね。
![火口](img40/kakou.jpg)
「ボーイズライフ」に掲載された当時のグラビア
右から、浜三枝、カリン・ドール、ショーン・コネリー、若林映子、ルイス・マックスウェル(マネーペニー役)
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エピソードとして有名なのは姫路城での撮影で、
「姫路城は日本国外の映画撮影許可に関して慎重になっているが、この映画が原因である。特殊部隊訓練シーンの撮影の際、城壁に畳を掛け、そこに手裏剣を投げ込むシーンなどが撮られたが、的を外れた手裏剣が城壁に当たったり、振り回した長刀が当たったりして傷を刻んでしまった。作中でも、手裏剣が壁に当たる様子が映りこんでいる。管理事務所は撮影中止を宣告したが、ピーター・ハント率いる第二班がそれ以降も城内で無断撮影を続けた。無断で撮影されたフィルムは没収され、撮影隊は姫路城を追い出された。その後、姫山公園で一部撮影し、撤退した。」朝日新聞 1966年8月25日(Wikipedia)
ひどい話です。(笑) |